フリーランス狩り

 近頃、社会的に問題になっていることがある。「フリーランス狩り」だ。この狩りは2008年ごろから都心を中心に頻繁に見られるようになったと言われている。フリーランスという制度に対して納得できない会社員の人たちが、彼らの存在を抹殺するために徒党を組み、完膚なきまでに襲撃するというものだ。特に首謀者はいない。最初は自然発生的に起こったもので、その後飛躍的にその被害件数を増加させてきた。
 タクタツ建設につとめる武藤キメルもこのフリーランス狩りを行っている者のひとりだった。彼は会社をこよなく愛していた。会社のためなら命を落としてもいいとさえ思っていた。日本が作り出した会社組織の素晴らしさについてなら、何時間でも話すことができた。それゆえに、フリーランスなどと無責任に名乗って会社に属さない不届き者がこの世に存在することが許せなかった。
 キメルは最初、ひとりでシコシコとフリーランスの人間をインターネットなどで探し出し、待ち伏せをして襲撃した。襲撃の際には鉄パイプとガムテープがあればよかった。鉄パイプで骨を叩き割って起き上がれなくした後、ガムテープをグルグル巻きにして動けなくしてしまう。こうすればすぐに警察に駆け込まれることもなく、無事に逃げおおすことができた。
 ある日のこと、キメルがいつものようにフリーランスの人間を嬉々として叩きのめしていると、その背中に声をかけてくる者がいた。
「武藤くんじゃないか」
 キメルが振り返ると、そこには直属の上司、田坂部長が立っていた。
「ぶ、部長」
 部長は部下が何をしているのかをすぐに悟ったようで、「私にもやらせてくれんか」と言った。キメルは部長に鉄パイプを渡し、部長はキメル以上の力を込めてフリーランスを殴った。
 こうして2人は夜な夜な繰り出すようになり、フリーランス狩りに乗り出すようになった。部長もキメルも結婚していたが、妻も子供も大いに賛成し、彼らを送り出した。彼らは家族ぐるみでフリーランスを憎んでいた。時にはキメルの妻の友人がフリーランスになったという話を聞き、旦那のキメルが襲いに行った時もあった。さすがにこの時には変装したが、妻は襲撃の報告を聞いて大喜びした。襲撃された妻の友達はフリーランスでいることに懲り、再び会社へ就職した。妻はフリーランスのままでいたら絶好するつもりだったが、会社に就職したことでこの友達とまた連絡を取り合うようになった。彼らにとって、会社に属さない人間など人間ではないのだ。
 田坂部長と武藤キメルのフリーランス狩りはやがて激しさを増し、その噂を聞きつけた同僚の者たちがこぞって参加したい旨を述べてきた。2人は5人になり、5人は20人になり、20人は60人になった。今ではほぼタクタツ建設の社員全員がフリーランス狩りに加担しているという。
 しかし、この例はあくまで小さなコミュニティでの一例にすぎない。いまやフリーランス狩りは国を挙げて行われていることだからだ。というのも先月、角田新首相が増加するフリーランス狩りの実態についてこう述べたのだ。
フリーランス狩りという新しい団体行動が社会的に流行っているようですが、私はこれを支持したいと思います。そもそも日本の会社組織は設備も福利厚生も環境も優れており、こんな素晴らしいものに属したくないと考えるだけで、その人物は危険人物であり、異常思想の持ち主だと私は思うのであります。しかも、世論の95%がフリーランス狩りを支持しています。国民の95%が支持する行動のどこが犯罪行為なのでしょうか? 中にはしぶといフリーランスの輩が警察に取り締まるように訴えかけているというバカげた報道もありますが、私は警察が動く必要は全くないと思う。このままフリーランスが撲滅されることを願って、こうして首相としての職務を全うしたい次第でございます」
 この角田新首相の演説により、彼の支持率は80%まで上昇した。いまやフリーランスは暗黙の違法であり、国家にとっての害悪だった。個人が自分のやりたいように生きだしたら、国がまとまるわけはない。数年前まではフリーランス謳歌しているように見えた人々も、報復を恐れて会社に次々と就職しだした。
 このように現在の日本は正しい道へと歩みだした。ある小学校の壁には校長の意向により、この世論を如実に表す標語(短歌?)が掲げられていた。
「ざまあみろ フリーランス
君たちに 生きる道はもう 残されてない」(五・七・五・七・七/字あまり)