キミは明るいからダメなんだ

「おまえは明るいからダメなんだ。もっと心を改めて暗くなれ」
 倉木の言葉を明石は黙って聞き、事実その通りだと思っていた。これまでも自分が何か仕事でミスをするたびに、周囲の人間はその性格を直せと言った。明石が暮らす氷室村ではネガティブでいることが成功の秘訣だった。その流れを作ったのが、いま明石の目の前にいる倉木だった。
 倉木は小さい頃から、ウジウジした性格で学校の嫌われ者だった。いつも下を向き、どよんとした雰囲気を体中から発した。人が何ヶ月も前に言ったことを蒸し返し、ネチネチと責めるのが好きだった。学校の嫌いな男部門でいつも1位に選ばれていたのは倉木だった。
 その反対に、明石は学校で一番明るい人間として知られ、どんな困難もポジティブに受け止めた。その天真爛漫な明るさはバカと紙一重だったが、人は明石といつも一緒にいたがった。休み時間になると、明石の周りに人がよく集まったものだ。
 そんな倉木と明石の関係が逆転したのが、2人が社会人になる頃だった。倉木は大学にも行かずに、地元で文房具を作る商売をコツコツとしていた。倉木はとにかく昔から文房具が好きで、どんよりとした色のオリジナル文房具を作っていた。村人たちは倉木の作る文房具なんぞは縁起が悪いということで、手にとることもしなかったが、ある日その文房具がある東京のゴス系の雑誌で取り上げられたことをきっかけに、日本中で爆発的ブームが起こった。それまで倉木は1人でインターネットからの発注を受けていたが、1人じゃとても足りなくなり、賃金をあげるからと言って村人たちが手伝うようになった。やがてその商売は軌道に乗り、「倉木文具」という会社が設立された。氷室村は特に核となる名産品もなく、人々は仕事にあぶれていたから、倉木文具は彼らの生活を救った形となった。倉木は社長として皆から救世主としてもてはやされた。もう小学校時代の暗い倉木のことを持ち出す者はいなかった。
 逆に明石の人生は転落の一途をたどった。高校を一番の成績で卒業した明石は、東京の大学に行った。その後ろ姿は希望に満ちていた。誰もがみな成功して帰ってくるのかと思ったら、明石は大学を辞めていた。明石は氷室村では一番だったが、東京に行けば自分みたいな奴がゴロゴロいると知り、やる気が全くなくなったのだ。大学を辞めた明石は人に言えないようなアルバイトを転々とし、ギャンブルにハマり借金を作った。警察沙汰になるような軽犯罪も何度かするようになり、生きていく金が底をついた明石は、村に戻った。ニュースで明石の犯罪を見ていた村人たちは明石を煙たい目つきで見た。明石が道を通るたびに子供たちが陰口を叩くのが、明石の耳元にも聞こえていた。
 今では氷室村では、倉木が神様だった。それまでは都会と同じようにポジティブで明るいことがよしとされていた。しかし、一番ポジティブで明るい明石が挫折し、ネガティブで暗い倉木が成功した今となっては、その考え方は180度逆転していた。親たちは子供に、とにかく後ろ向きに考えるように教育し、人と口喧嘩をする時にはとにかく相手の嫌なところをネチネチと責めろと命令した。これは全て倉木の教えによるもので、彼の書いた『ネガティブが地球を救う』という小冊子は村の中でベストセラーとなった。学校と名のつく場所では、この小冊子が道徳の教科書として使われた。
 村人全員がこんな調子だから、氷室村以外に住む人間は、誰も氷室村に来たがらなかった。誰もが下を向いて、グチグチと自分の欠点を述べられることに耐えられる者はいなかった。
 だが、倉木がこうして成功した以上、村ではネガティブでいることがとにかく正しいのだ。明石はこの事実を受け入れ、ひたすらネガティブになろうとした。今は倉木文具で電話番の仕事をやらせてもらっていたが、ついつい気が緩むと明るい性格が顔を出し、「大丈夫ですよ」と言った楽観的な言葉を吐いては、こうして倉木に叱られている。
 明石は倉木に問う。
「倉木社長、じゃあ、僕にネガティブでいるコツを教えてください」
 昔は同級生でタメ口を叩いていた2人も、今では社長と平社員の関係だ。そこには徹底した敬語があった。倉木は面倒くさそうにタバコを明石の顔に吹きかけ、そして言った。
「何度も教えているだろう。とにかく下を向け。目の前の相手を妬んで、恨んで、不幸を祈れ。起こったことは全て悪いように解釈しろ。自分のことが暗い人間だと信じ込めば、運命は変わるんだ。いいな」
「わかりました。どうもありがとうございました」
 明石は反省し、足元を見つめた。社長が部屋を出て行ったのがわかった。俺はネガティブだ、俺は暗いんだ。足元を見つめたまま自分に何度も言い聞かせると、すっかりその気になってきた。倉木の言うとおりだ。自分に暗示をかけるのは大事なことなのだ。
 こうしてネガティブを貫けば、自分も倉木のように立派な社長になれるかもしれない。そんな希望が頭をもたげ、一瞬顔には笑みが浮かんだが、こういう考えはポジティブなものだと思い、すぐに打ち消した。