無の無乗は無

 劇作家を目指す佐藤至道が劇団石ころ帽子を始めて1年が過ぎた。佐藤はそれまでぼんやりと演劇をやりたいと思っていたが、友達もおらず、演技の勉強も受けたことがないため、自分でも現実味のない夢だった。しかし、ある日あるバンドのライブをネット上で観た時に、これなら自分にもできるんじゃないかと思った。
 佐藤が思いついたのは、とにかく自分のようなダメな人間ばかりを集めたら面白い芝居が作れるんじゃないかと言うことだった。佐藤は行動力がないため、これを思いついてから実行に移すまでに3ヵ月ほどかかったが、なんとかSNSサイトに「ダメ人間募集! 演劇やらないか」と募集をかけ、6人のダメ人間たちが集まった。
 佐藤は彼らを初めて見たとき、うんざりした気持ちになった。まるで自分を見ているようだったからだ。夢は大きく語るくせに、何の具体性も伴わない。思いつきで自分のやりたいことを話すのは好きだが、いざ何かをやろうとすると途端に面倒くさくなってしまう。しかし佐藤はそんな不満を押し殺して、このダメさにこそ勝機があるのだと思い込むようにした。
 佐藤は脚本など書いたことなかったが、この6人たちが「なんとかしてくれよ」と言いたげな他人まかせな表情で突っ立っているのを見ると、書かないわけにはいかなかった。ダメ人間はさすがダメ人間だけあり、練習には来ないし、来ても大遅刻はするし、嘘はつくし、お金のトラブルは起こすしと大変だった。だが、佐藤はそんな彼らの尻を叩き、必死に公演までこぎつけた。旗揚げ公演のタイトルは「ミミガー的な僕らの日常」だった。
 この旗揚げ公演はとにかく脱力感に溢れており、劇団としての統一感もチームワークもなかった。佐藤の脚本も平凡さを極め、佐藤自身も自分の才能のなさに辟易した。やっているほうがこんな調子だから、観に来た者たちはもっと退屈した。役者たちはなんとか数少ない友達を集めたが、連れてこられた彼らは一様にアクビをかみ殺し、終演後は苦笑いを浮かべて帰って行った。たまたま小劇場界に興味がある雑誌編集者がタイトルに惹かれて観に来ていたが、彼もアンケートには酷評を並べていた。
 この旗揚げ公演の後に、劇団員2人が辞めた。佐藤はもうやめようと思った。しかし、ここで辞めたらせっかく大変な思いをして劇団を作ったのがすべて無駄になってしまう。そう思って、2回目、3回目の公演を行うことができた。ただ、世間の評判が全く良くなることはなく、リピーターというものはいなかった。観客の数はどんどん減る一方で、やがて採算的にも次回公演を行うことが難しいという結論に達した。
 佐藤は劇団の解散を考えた。誰一人として才能がなく、努力もできない者たちが集まっても、何も生まれないということが身に染みてわかった。無に無を掛けても無でしかない。無の無乗は無なのだ。この佐藤の考えを劇団メンバーに話すと、彼らはみな同意した。彼らは旗揚げ公演に出たときは、ここにいる誰かが自分の運命をなんとかしてくれるのではないかという淡い期待を抱いていたが、2回目、3回目と続けるうちに、そんなことは叶わぬ夢だということに気付いてしまったのだ。
「どうしよう。また俺たちは無に戻るか」
 佐藤が解散をほのめかした。残りの劇団員たちは迷っていた。確かにこのまま続けていても、解散しても、自分が無であることには変わらない。ただ、なんとなく寂しかった。無に無を掛けて、それが無しか生み出さなくても、それが世の中に全く何の影響も及ぼさなくても、いいのではないか。そう誰もが思っていた。それでも、このことを上手く説明できる者はいなかった。続けようと言うのも恥ずかしい気がしたし、自分が無であることを認める気がして惨めになるのが嫌だった。そもそも彼らは自分から何かを言い出すということがとても苦手だった。
 その場の空気はよどみ、八方塞がりになり、彼らの運命を暗示しているかのようだった。佐藤はこれまでかと思った。そして佐藤が席を立ち、「それじゃあ、これで。みんなも元気で」と言った時に、一応劇団の看板役者である二谷が低い声で歌い始めた。
「むーむーむー、むむむむー」
 チベット密教の読経のような重たいメロディで歌われるその呻きは、そこにいるみんなのことを歌っていた。漢字で書くならもちろん「無」だった。これに共感した者たちは、いつのまにか誰かが言い出すことなく無無無ー無無無無無ーと合唱しはじめ、劇団創設以来、初めての一体感をその場に生み出した。