我が社の尿バトル

 ふと口を滑らせてしまったのがいけなかった。同僚との無意味なお喋りの際に、この社内では自分が一番尿の量が多いと発言してしまったのを佐原社長は聞き逃していなかった。
 我が社の人数は15人と少ないため、社内のお喋りの内容は筒抜けだ。だが、まさかこんな平社員の尿自慢を社長が聞いているとは思わなかった。わたしがその発言をした直後、社長は納得いかぬ様子で言った。
「城山くん。キミは今、尿の量が社内で一番多いとか言ったけどさ。僕の尿の量を見たことがあるのかね」
 わたしはこう社長から聞かれ、ついつい負けず嫌いの精神が出てしまい、余計なことを言ってしまった。
「いくら社長といえども、こればかりは負けませんよ。わたしは一日に5リットル水を飲むんです。社長はそんなに水を飲みますか? 飲まないでしょう。尿と言うものは、入れた分しか出てこないものなんですよ」
「よしわかった。キミがそう言うのなら、勝負しようじゃないか。証人はここにいる社員全員だ」
 こうしてわたしは社長と尿の量をかけてバトルを行うことになった。
 ルールは簡単。今この瞬間にトイレに行き、どれだけの尿が出るかを競うのだ。明日や明後日になってしまえば、水分をいつも以上に摂取する可能性があるから、勝負をやるなら今しかなかった。わたしがトイレに行ったのは1時間半前。社長もそのくらい前だと言った。わたしが見る限り、社長の机には水を飲んでいた形跡はない。わたしはこの1時間半いつものぺースでガブガブ水を飲んでいた。まず自分の勝利は確実かと思われた。
 同僚のものたちが2リットルのペットボトルを用意した。不正を許さないために、全社員の立ち合いが求められた。女子社員はさすがに拒否したが、社長命令だから必ず見るようにと言われると渋々男子トイレの中に入ってきた。
「それでは行きます」経理の小倉順二が時計を見ながら合図する。「用意、スタート」
 ジョボジョボと景気のいい音がトイレに響き渡った。わたしはまだまだ湧き出る熱い尿の水源を体内に感じていた。このままだとあと数十秒は出続けることだろう。しかし、不安だったのは社長の音もわたしに負けず、豪快だったことだ。どこにこんな尿が溜まっていたのかと思わせるほど社長の音の勢いはすさまじかった。わたしは少し不安になった。
「1分になります!」小倉が経過した時間を知らせる。わたしの尿はもう少しで終わりそうだった。その音が先細りになっていき、あとは力を入れないと出てこない。社長の横顔を見ると、先ほどのような勢いはないようだったが、まだ余裕が感じられた。わたしの尿は次第にチョロチョロと高原の岩清水のようになっていき、やがて止まった。社長の音を聞くと、まだいくらか出ているようだった。
 時間では確かに社長に負けたかもしれない。ただ、問題は量なのだ。わたしと社長はペットボトルを小倉に渡し、判定を依頼した。しかし、判定をゆだねるまでもなかった。わたしのに比べて、社長のペットボトルのほうが5センチほど水面が高かったからだ。
「この勝負、社長の勝ちですね」小倉が言い、社長のお気に入りの部下たちが歓声を上げた。わたしはあまりに悔しくて、少し取り乱してしまった。
「そんなわけないでしょう。社長が水を飲んでいるところなんて、見たことがないですよ! これはきっとイカサマだ。社長がトイレ業者に指示して便器に細工したんじゃないですか?」
 わたしの遠吠えはむなしくトイレの中に響いた。全社員が勝負の成り行きを見守っていたのだ。その沈黙がイカサマではないことを意味していた。
「城山くん、人体は不思議なんだ。わたしは昔から体質的に代謝がよく、異常な量の尿が出ていた。小さい頃は人と違うからと言って悩んだが、大人になったらこれを自分の長所だとみなすようにしたんだ。だってそうだろ? 代謝がよくて何が悪いんだ? キミはさっき言ったね。尿は体内に入れた分しか出てこないと。それは違うんだ。同じ量を水を飲んでも、同じ量の尿が出てくるとは限らないということをキミはよく知らないといけない。仕事もそうだよ。こうだから必ずこうなるという公式などは存在しない。常に自分のコントロールできない予想外の事態が起こることを想定していないといけないのだよ。キミは軽々しく社内で一番の尿の量が多いと言ったけど、他の社員の尿を確かめてから言ったのか? たとえば美咲くんはどうだ? 吉永くんはどうだ? もしかしたらキミよりも尿の量は多いかもしれないだろ」名前を出された女子社員が顔を赤らめた。
「これもいい勉強になったんじゃないか。常に必要なのはダブルチェック、トリプルチェック。それでも自分の手じゃどうにもならないことが起こる。わたしはこの勝負をすることで、キミに世の中の仕組みを教えてあげたかったんだよ」
 わたしは社長の言葉を聞き、涙腺がウルウルと来ていたが、どうやら体内の水分は尿として出しきっていたためか、涙は出てこなかった。わたしは涙なしの泣き顔のまま社長に抱きついた。男子トイレの中には他の社員の拍手が、いつまでもいつまでもこだましていた。