ご飯が固くなった日に家族再生

「あっ、こんなに固い…」
 姉の算美がしゃもじをお釜に入れながらつぶやいた。それを聞いた僕はそんなのは当たり前だと思う。今は夏なのだ。しかも、算美ときたら大学のサークルの飲み会やら何やらで全然家に帰ってこないのに、たまに帰ってきたらこういう文句しか言わない。
 父の権蔵も同じことを思っていたようで、あからさまに不快なトーンで言った。
「“あっ、固い”じゃないんだよ。アホか、おまえは。少しは家に帰ってきてご飯を食べろって言うんだ」
「そうよそうよ」と父に続いたのは母だ。「外食ばかりしているとお肌が荒れるわよ」
 僕は父と母のその言葉を聞きながらも、おまえら勝手なことばかりを言うなよとあきれた。父と母は姉と同じくらい家に帰ってこない。つまりはこの家の人間は、僕以外誰ひとり家に帰ってこないのだ。
 そんな家族たちがなぜ今日は珍しく家に揃っているかというと、今日は日本戦だかららしい。僕は彼らがどうせ外のパブリックビューイングで飲んだくれながら観戦していると思ったから、帰ってきたのは予想外だったのだ。もし帰ってくるのなら、ちゃんとご飯を炊きなおして肉じゃがでも作ったというのに。
「じゃあ、お父さんもお母さんも食べてみてよ。これ、本当に固いんだから」姉はそう言いながら、固くなったご飯を頬張っている。「うわー、こんなの飲み込めないよ。固くて口が壊れちゃいそう」
「どれどれ、そんなに言うなら父さんにも食べさせてみなさい。うわっ、本当だ。固い。これじゃあ、せんべいだろ。どうなっているんだ」
「えー、そんなに固いなんて嘘でしょ? 本当だ。固ーい。歯が折れちゃいそうね」母が父に続いて盛り上がる。
 姉と父と母は、暗に僕のことを責めるような空気を醸し出している。僕はあまりに腹が立ったので言ってやった。
「たまに帰ってきたからって、おまえらその言い草は何だ! この固いご飯は我が家が家庭崩壊していることの象徴なんだってことがわからないのか! おまえらが外で遊ぶ金を捻出するために、俺が一生懸命自炊しながら家計を助けているって言うのに、何もわかっちゃいないよ。そんなことなら俺はもうこの家に帰ってこないからな」
 普段あまり声を荒げないような僕が怒鳴ったから、他の3人は呆然としていた。
「そうだよな。これ、純平が炊いてくれたご飯だもんな。固くなるのは仕方ないさ。夏なんだもん。もし固くて食べられないようだったら、父さんが雑炊にしてやろうと思うんだが、どうだ?」
「賛成、雑炊なら食べられるかもね」姉がオドオドと言う。
「わたしが雑炊のダシ、作ってあげようか」母が慣れない食器に触りながら言う。
 僕はこいつらの、こういった場当たり的なフォローが大嫌いだった。このまま僕が黙っていれば、おいしい雑炊を作って一家団欒を演出するに違いない。しかし、明日からはまた元の家族離散状態に戻るのだ。時計を見ると、日本戦が始まるまで10分ほどしかなかったのもあって、僕は強行手段に出ることにした。 
「あんたら、時計を見てみろよ。日本戦まであと10分しかない。もし試合を最初から観たかったら、このご飯を固いまま食べるんだ。幸いにも、ふりかけと梅干としらすがあるさ。俺がいつも家でひとりで食べているようなメニューを今日は食べるんだな。第一、何の連絡もせずに家に帰ってきて、ご飯が用意されているだろうと思うのが、甘すぎるんじゃないか。おい、算美、おまえ何やってるんだ!」
 算美は僕が喋っている横で、こっそり携帯を手にし、ピザ屋に電話しようとしていた。
「だって、ピザだったら試合中に来てくれるでしょ。ほら、あんただってピザ好きだったじゃない」
「いつの話だよ。俺はもう30を過ぎて、油っこいものは体が受け付けなくなってるんだよ」そう言って僕は算美から、ピザのチラシを奪い取った。算美は男に媚びるような表情で肩をすくめた。
 姉も父も母も僕のあまりの剣幕に観念したようだった。僕は黙って彼らの茶碗にご飯をよそい、食卓へと並べた。「固い…」「固いな…」とつぶやきながら、彼らはご飯に手をつけた。しかし、ご飯の固さが気になっていたのも束の間だった。日本戦の試合の模様があまりに面白くて、それどころじゃなくなっていたのだ。
 僕らは声を張り上げて応援した。日本は快勝した。僕が気付くと、3人の茶碗はからっぽになっていた。ふと気付くと、家族4人が揃って食事をするのは、10何年ぶりかのことだった。僕は日本が初のベスト8となった歴史的なこの日を、家族が再び固いご飯のもとひとつになった記念日として決して忘れることはないだろう。