デート・ウィズ・プーチン

 片瀬佐和子は金曜日の夜、ふとレンタルしてきた映画『デート・ウィズ・ドリュー』を観て、感動と興奮のあまり眠れなくなってしまった。この映画はドリュー・バリモアの大ファンだった男が、なんとかドリューの周囲の人間に近づき、本人に会いに行くというドキュメンタリーで、人間その気になればやれないことはないということを示してくれた。
 佐和子は思い立ったらすぐに行動する性格で、しかも影響を受けやすかった。猿岩石が流行っていたころには世界一周ヒッチハイクの旅に出たし、ウーパールーパーエリマキトカゲも即購入した。佐和子はなんとしてでも『デート・ウィズ・ドリュー』と同じことをやらねばならないと思った。しかし、よく考えてみたらそこまでの苦労を負って会いたい人がいなかった。佐和子はもともと、日本の芸能人に入れ込んだことはない。小さい頃も、周囲がジャニーズのタレントに熱を入れているのを見ても、全く同調できなかった。少しだけバンドマンに夢中になる時期もあったが、それも完全に冷めた。
 華子は困った。まず会いたい人がいなくては、この企画は成り立たない。なんとしてでもターゲットを見つけなければならないと思ったその時、頭にプーチンの姿が思い浮かんだ。なぜプーチンだったのかわからない。いつの日か、ニュースでプーチンが柔道好きだということで、柔道着を着ているのを見てやけに似合うなあと思ったことがあった。きっとあの時の印象があまりに強すぎたのかもしれない。そう考えると、プーチンはターゲットとして悪くない気がした。佐和子はすぐさまビデオカメラのスイッチを入れ、プーチンに会いに行くための意気込みを語った。
 そのためにはまず、現地に行くことが先だろう。佐和子は翌日すぐにモスクワに飛び、柔道教室の門を叩いた。すると、驚いたことにそこの柔道教室の先生はプーチンの柔道の先生とのことだった。週に1回はレッスンに来ているから会うことができるという。しかも今週のレッスンは今夜だと言うのだ。思いのほかあっさりと夢の実現に向かっていることに対し、佐和子は不安を覚えた。これでドキュメンタリーは成り立つのだろうか。
 佐和子の不安通り、その後は何のトラブルもなく時間が過ぎていき、柔道教室の待合室でロシア語で書かれた雑誌を読んでいると、そこにプーチンが現れた。佐和子は急いでカメラを回した。柔道の先生が佐和子のことを「日本からはるばる会いに来たようだ」と紹介し、プーチンが「どうぞよろしく」と右手を差し出してきた。佐和子はそれを握り返し、2人は軽くハグをした。
 だが、佐和子としては誤算だったのは、実際にプーチンに会っても感動を思うように伝えられないことだった。プーチンは明らかに、日本からわざわざ自分に会いに来たのだから、プレゼントとか、熱い演説とかを期待している顔をしているが、佐和子にはそのどちらもない。映画の中ではドリューに渡すためのプレゼントを用意しており、佐和子もなんとなく頭の片隅にプレゼントを買っておこうかと思ったけれど、まさかロシアに着いたその日に会えると思ってもいなかったのだ。
 そしてこの瞬間までに何ヶ月もかかって、苦労に苦労を重ねたというのだったら、それまでの冒険談を語ればいい。だが佐和子にはそれもなく、ただプーチンの前でニコニコと笑って立ち尽くしているだけのマヌケな日本人になってしまった。プーチンはやがて、この小さい日本人の少女からはもう何も出てこないと思ったのか、「ということで、では」と言うような内容のロシア語を言って、柔道着に着替え始め、柔道の練習を始めた。佐和子はそれをカメラを回しながらぼんやりと眺め、たまに目が合うとプーチンは手を振ってくれた。
 2時間ほど練習した後にプーチンは柔道教室を後にした。「お会いできてうれしかったです」と佐和子は言ったが、そこに感情を込めることはできず、プーチンもあっさりと「では」と言い、去っていった。柔道の先生は「どうだ。うれしかったか?」としきりに聞いたが、佐和子はうまく答えられず、ありがとうと礼を言い、教室を後にした。そしてその翌日、佐和子は日本へと帰国した。
 帰ってきてから映像の編集作業をやっていると、これほどまでにつまらないドキュメンタリーはないと言うような出来だった。いってきますと日本を出て、ロシアに着いた途端にプーチンに会えてしまう。そして肝心な自分は全然うれしそうじゃない。これならヤラセだらけでお涙ちょうだいのウソくさいニセドキュメンタリーのほうがよっぽどましだった。
 佐和子は今回の件を大いに反省をした。自分には行動力があり、そこには問題がないので、次回はまず好きな有名人を作ることから始めようと思った。佐和子はテレビをつけ、自分好みの男を探した。オードリーの春日が自分好みかもしれないと思ったが、これも会おうと思えばすぐに会える気がして、やはり外国の俳優かサッカー選手にしようと考えを切り替えた。会いたいんだけどなかなか会えない人を探すということはなかなか難しいものだ。