パンチ(パソコン音痴)の会

 パンチの会会長の柳瀬金次郎は、昨日の会合に欠席した会員の1人1人に電話をした。たとえば初期会員の1人である棟方新造との会話はこうだった。
「やい棟方。なんでおまえ昨日の会合来なかったんだよ」
「柳瀬さん、俺、もうパンチの会やめます」
「おまえ、何言ってるんだ。この会を創設した時に一緒に誓いあっただろうが、コンピュータなんかに自分の人生を狂わされてたまるかって」
「でももう無理っすよ。メールもできない、インターネットの見方もわからない、エクセルも使えないだと、どこの会社も雇ってくれないんですから。俺だって家族がありますからね、いつまでも時代の流れに逆らうような真似はしてられないんですよ」

 柳瀬金次郎と棟方新造、その他何人かの者はバブルの頃に絶好調だったビジネスマンだった。彼らは面白いように金を稼ぎ、自分たちが時代の中心にいると確信してならなかった。そんなバブルの時代も終わり、90年代に入りパソコンが仕事に導入されると、彼らは新しいそれらのものを受け入れることを拒否した。社内では彼らの地位は揺るぎないものだったので、彼らがeメールのアドレスを持たないことを他の社員も了承した。
 彼らは自分たち人類の生活をパソコンという新しい敵に侵されないために、ある団体を作り上げた。その名はパンチの会と言って、パソコン音痴の会を縮めたものだった。パンチの会の会員募集を新聞に載せたところ、全国にいるパソコンになじめない会社員からの多くの申し込みがあった。「時代に踊らされない、意志の強い人間たちの集団が話題!」「急激なコンピュータ化から身を守るためにはパンチの会に入ろう!」というキャッチコピーで、テレビや雑誌にも取り上げられることもしばしばあった。柳瀬は仕事を辞め、パソコンから人類を辞めるためのこの活動に人生を捧げるつもりだった。
 しかし、90年代のピーク時に数えた3万人の会員も2000年代に入ると減少の一途を辿り、2010年になるとなんと会員数16人となってしまった。それでも柳瀬は毎月第3水曜日には会合を行い、コンピュータがないほうがどんなに人類が幸せかを説いた。人間力さえあればこの世は楽々と生き抜いていけると熱弁した。会合に来ている顔ぶれはいつも同じで、団体を作った当時に比べると、疲れきった顔の者ばかりだった。
 そして昨日の会合にやってきたのはたったの3人だった。柳瀬は激怒し、会員に電話をかけた。多くの者は棟方と同じように脱退したいという旨を述べた。

 柳瀬はこのような少人数の前で演説していても埒が明かないと感じ、駅前で演説を行うことにした。
「あなたたちが使っているパソコン、あれは人類を滅亡に導くものです! パソコンを持っている人は、今すぐ家に帰ってゴミ箱に捨てましょう」
 90年代には熱狂を持って迎えられたこの言い回しにも、誰ひとり足を止めることはなかった。柳瀬は駅前をとぼとぼと歩くサラリーマンの中に、昔の会員の姿を見かけた。
「そこのあなた、昔パンチの会に出入りしていましたよね。パソコンが嫌いで仕方がないって言ってましたよね。今はどうなんです? まさかパソコンになじんだりしてないでしょうね。もしそうだとしたら裏切り者だ! あんなにパソコンが嫌いで苦手で見るのも嫌だと言っていたのに。あの時、君たちが言った言葉は嘘だったというのか?」
 呼びかけられた男は立ち止まることなく行ってしまった。柳瀬はまるで過去の甘酸っぱい恋愛が終わってしまったのにも気付かない青年が別れた彼女に向かって未練の言葉を投げかけるように絶叫し続けた。「裏切り者、裏切り者お」と。その目には涙がボロボロと流れていた。