本の仕分け(出版刷新会議)

 元教師で文部大臣あがりの首相・真塩三作(ましおさんさく)の政策はことごとくハズレだった。経済にしろ、外交にしろ、何ひとつ国民の心をとらえることができず、2年間で首相の座を去ることになった。ただ、今振り返ると、真塩が行っていた政策のひとつは、ある一定のコアな層に熱狂的に受け入れられていた。
 その政策の名前は、「本の仕分け(出版刷新会議)」と言った。彼がもともと無類の本好きであり、国会の審議中にも本を読んでいることで知られていた。ぶら下がり会談の時も、本を読みながら記者の質問に答えたし、国会の中を歩く時も器用に本を読みながら歩いた。彼のことを批判する人間はみな、「ああいう本ばっかり読んでいる人間だから、現実の生活というものが見えてないんだ」「あいつはは政治家じゃなく、夢想家だよ」と言って批判した。
 それらの批判のとおり、彼の発言の多くは現実感がなく、本気で言っているのか冗談で言っているのかわからないようなものが多かった。たとえば、消費税について国会が争っているときも、「こんな時にさ、地底人がボーンと出てきて、私たちが消費税分を負担します! とか言ったら面白いのにね」などと言い、国会を凍らせた。その後、精神鑑定を依頼したほうがいいのでないかという議論が真剣に交わされた。
 話が少しそれたので元に戻そう。真塩の政策で支持されていた「本仕分け(出版刷新会議)」のことだ。それは読んで字のとおり、つまらない本が乱売されることを国が介入することによって減少させようという計画だった。真塩が言うには、日本は世界の中でも年間トップクラスに位置するほどの数の本が出版されているが、このほとんどが面白くなく、紙の無駄で資源の無駄だということだった。
 ここで問題になるのが、誰がつまらないか面白いかを決める基準である。この選定を行うのは首相ひとりであり、特に委員会が集められるわけでもなかった。首相がプライベートや仕事中に読んだ本の中で、つまらないと感じた本はすぐにこの政策に引っかかった。
 具体的な方法としては、首相はすぐにつまらない本の作者を国会に呼んだ。そして、どうしてこのようなつまらない本を書いたのかということをクドクドと数時間に渡って聞いた。その質問は悪意に満ちたもので、聞かれているほうは精神が病むような内容だった。本に興味がない人だったら、まるで面白くもない質疑応答だったが、首相の意見に賛同している人々。つまり、その本を同じようにつまらなかったと思っている人からしたら圧倒的な共感を得たようだった。特にアンチが多い本の作者をギタギタに言い負かした時など、支持率が20%も上がったものだ。
 こうして質問攻めにあった作者のほとんどは、自分の作品がこき下ろされることにショックを受け、自分の中での書く動機すらあやしくなり、その後作品を発表することができなくなる人間がほとんどだった。これを首相は「正しい淘汰」と読んだ。中には、反骨心の塊のような作家もいて、この首相からの屈辱的扱いに奮起してさらに才能を磨くケースもあった。それらの多くはのちのインタビューで、「皮肉ではなく、あの時、首相がボロボロに僕のことをけなしてなかたったら、今の僕はなかった」と答えた。
 真塩首相在任時には、この政策があったおかげで、つまらない本が出版されることは少なくなった。あるデータによると、この2年間には日本全体の本の出版は20%減ったそうだ。経済学者は、これによって出版産業が痛手を受けると批判し、大学の文学部の教授などは地雷本を手にすることが少なくなってよかったと賞賛した。
 だが、そのような現象もほんの一瞬のことで、真塩が首相を辞任した後は、再び本の出版が20%アップした。つまりはつまらない本が復活したというわけだ。たとえば、面白い本が一冊もないのになぜか毎月新しい小説を出版することで知られている作者・米俵米彦(こめだわらこめひこ)は、首相在任時には出す本出す本がことごとく仕分けの対象になり、貧乏生活を強いられていたらしいが、首相が辞めた途端に以前の2.5倍のペースで新刊を発表した。先月出した『米刑事ライスのブンデスリーガ観戦記』はアマゾンでのレビューはオール1だったにもかかわらず映画化が決定した。今月末に出す『携帯ごはん殺人事件』は出版差し止めのデモが起こったにもかかわらず、すでに続編の発売が決定しているとのことだった。 
 そして現在、真塩元首相は政治家を引退し、何をしているのかと言うと、ひとりでつまらない本をなくすための草の根運動をしているというのだ。米俵米彦の家にもイタズラ電話を一日何十回もし、書斎の窓を壊して泥水を流し込むなど、警察から再三にわたって注意を受けている。まさにつまらない本を書く作家の活動を妨害するためには命さえも惜しくないといった執念だ。これだけ自分の信念を貫いた政治家が今までいただろうか。いや、いなかったはずだ。