催事場

 北海道物産展だか、駅弁フェアだか、細かい内容は忘れてしまったが、僕が中学生の頃に近くのデパートで行われていた催事場で出会った女の子が忘れられない。女の子はバンダナを頭に巻き、汗を額から滴らせながら「いらっさえ! いらっさえ!」と叫んでおり、そのワイルドな拍子(ビート)が僕の心に深く刻まれていた。僕はその翌日、もう一度女の子に会おうと思って催事場に行ったが、その子は非番だったのか不在だった。僕はそれきりその女の子には会えなかった。
 それから8年の月日が経ち、僕は大学を卒業して広告代理店に就職した。デパートの催事場でのイベントを専門に行う代理店で、そこで働けばあの子に会えるのではないかという淡い期待を抱いていたのだ。僕は日本中を飛び回り、あの子を探した。「いらっさえ! いらっさえ!」と汗を流す女の子を見たことはないかと。しかし、何年経ってもその行方はつかめず、僕は合コンで出会った2コ下のバスガイドと結婚した。
 結婚すると僕は代理店で働くことが辛くなってきた。これまではあの女の子を探し出すというモチベーションがあったから、ハードスケジュールで日本中を飛び回ることにも耐えられたのだが、もう会える望みは皆無に等しいとなった今、続けることは難しい。僕は昔からの夢のひとつだった、塾の先生に転職した。
 仕事も覚えて何年か経ったある日、国語の教科書の中で「催事場」という言葉が出てきた。それを見た僕は思わず授業を中断してしまった。あの日の甘い思い出が頭を離れなくなったのだ。僕は生徒に謝った。催事場という言葉には、色々と思い出があるとも言った。もちろん細かいことは話さなかったけども。すると、授業を受けていた女子生徒の一人が、「お母さんと同じだ」と言った。
 その女子生徒によると、彼女の母親はテレビ番組で「催事場」という言葉を聞くと、料理をしていても洗濯をしていても、全ての動きが止まってしまい、何かに憑りつかれたかのように呆然と立ち尽くすらしい。それを聞いて僕は、「僕と同じだね」と言った。世の中には催事場に淡い思い出を持っている人がたくさんいるものなのだ。
 しかし、その次に言った女子生徒の言葉を聞いて、僕は言葉を失った。
「それでね、お母さんはしばらくボーッとあとに言うの。“あの時は楽しかったのよ。いらっさえ! いらっさえ!って毎日頑張っててね”って」
 よく見ると、女子生徒の顔はあの女の子の顔に似ていないこともなかった。僕は確信した。この生徒の母親はあの子に違いないと。人生とは、とかくそういうものだ。
 しかし僕にはどうすることもできない。彼女には家庭があり、僕にも家庭がある。こうして彼女の行方を知れたことだけにでも感謝しなくてはならないのかもしれない。僕はその女子生徒に、「僕は昔、君のお母さんのファンだったと伝えておいてくれ」と言った。あの女の子、いや、この生徒の母親はきっと何のことだ?と不審に思うかもしれないが、すぐに忘れるだろう。それくらいを伝えてもきっと罪はないのだ。