ビッグアップルの忍耐帳

 その昔、大山林檎という生徒がいた。大山はその名前からビッグアップルとのあだ名をつけられていた。ビッグアップルはどんな酷いイジメを受けても抵抗しないことで有名で、同学年の生徒たちはよってたかって彼をいじめた。ひどい時は警察沙汰になることもあったが、それでも彼は何も言わなかった。
 そして卒業してから20年が経った時、卒業生のもとに手紙が送られてきた。宛名は大山林檎だった。受け取った者たちは、自分たちがイジメをしていたことを思い出し、復讐のための毒でも盛られているのではないかと恐れた。
 しかし、その封筒の中に入っていたのは、「ビッグアップルの忍耐帳」と書かれた1冊のノートだった。そこには、中学時代にビッグアップルがいかにしてイジメに耐えてきたかの方法が書かれた虎の巻だった。ある項には、「下唇をひたすら噛むべし」と書かれ、ある項には「お笑い番組の好きなシーンを思い出すべし」と書かれてあった。その項目は、80個にものぼった。
 その忍耐帳を受け取った者たちは、どのように受け止めていいものか迷った。やはり「おまえらのイジメをここまで苦労して耐えたのだぞ」と受け取るべきなのか。しかし、その後行われた同窓会で、同級生が勇気を出してビッグアップルに尋ねてみたところ、意外な答えが返ってきた。
 ビッグアップルはあれだけのイジメに耐えたことを誇りに思っていた。そして、同級生たちも卒業後、イジメに耐えたビッグアップルのことをすごいと思っているはずだと思っていた。事実、同級生たちも何年に一度か、ビッグアップルのことを思い出した。
 そこでビッグアップルはこれまで自分がいかにイジメを我慢してきたかの方法を、同級生限定で明かすことにした。ビッグアップルは器用なほうではなく、文才もなかったので、その80項目を書くのに何年も費やした。なんとか卒業後20年目の節目に送ることができて、ホッとしたとのことだった。
 それを聞いて、ビッグアップルをいじめていた連中は、なんて自分はちっぽけなことをしていたのだろうと反省した。そしてビッグアップルが過酷なイジメを耐えてきた忍耐方法を学び、暗記し、それからのそれぞれの人生の苦難を乗り越える時の役に立たせた。この「ビッグアップルの忍耐帳」はクチコミで広がっていき、ビッグアップルが65歳になった時に書籍化された。同級生たちはビッグアップルがいかに偉大な奴だったかということを話し、この本を周囲の人間にすすめて回ったものだ。