フジロックには行かせない4

 私の彼氏のシューヤ君は何でも「いいよいいよ」と言う優しい人だ。私が待ち合わせに遅れても「いいよいいよ」と言って笑ってくれるし、レストランで食べ物を残しても「いいよいいよ」と言って食べてくれる。周りからは「キンコの彼氏は優しいからいいよね」と言ってうらやましがられていた。
 しかし、そんなシューヤ君に対して、私はどうしても許せないことがあった。私を去年、フジロックへ行かせたことだった。私は去年、職場にいる先輩の女性に誘われてフジロックへ行くことになった。私は音楽に全然詳しくないし、アウトドアも苦手だし、なぜ自分が誘われたのかもわからなかったが、その先輩が嫌いではなかったのでOKしてしまった。でも、これでOKしたのが全ての間違いだった。
 私は一応その時、シューヤ君に相談した。シューヤ君はいつもの調子で「いいよいいよ、行ってきなよ」と言って笑顔で送り出してくれた。でも正直言うと、この時「行かないで」って言ってくれたらうれしかったなと思ったのも事実だ。私たちはいつも週末に会っていたため、もっと私と会えないことを寂しいと思ってほしかった。
 簡潔に結論から言おう。私はフジロックに行ったことで、人間が変わってしまったのだ。私はごくごく普通のサラリーマンの家に育ち、悪い事や悪い人に一切触れることなくスクスクと育っていた。真剣に就職活動をして、今の会社に入った時は飛び上がって喜んだものだった。大学の歴史研究サークルで知り合って付き合ったシューヤ君との結婚に向けて地道に地盤を固めていくつもりだったし、それ以外の男の人にも興味がなかった。私には趣味もなく、特技もなかった。強いて挙げるならば、テレビドラマのチェックは必ず欠かさないということくらいだった。
 そんな私があんな不健全な場所に行ってしまったものだから、最初の1日は早く帰りたくて仕方がなかった。でも、先輩の友達とお酒を飲んだり、なんというバンドだかわからないけどもすごく踊れるライブを観てしまったり、就職したことがないという人と話したりしているうちに、私は少しずつフジロックの楽しさにとりつかれていった。先輩が運転した帰りの車の中では、初めて会った先輩の友達と冗談を言い合って笑ったし、埼玉の自分の家に帰ってからも初めて洋楽のCDを買ってしまった。
 それ以来、私は仕事に身が入らなくなってしまった。テレビドラマを観ることをやめて、先輩がすすめてくれた映画のDVDを借りるようになったし、フジロックで会った先輩の友達のライブを観にライブハウスというものに初めて足を踏み入れたりもした。そして、シューヤ君は相変わらずの調子で、私が何をやっても「いいよいいよ」と言い続けた。
 でも私はどこかで彼にストップをかけてほしかった。先輩からは「キンコちゃん、世界が広がったね」なんて言われるし、最初は自分でもそう思っていたのだが、いろんなことを知れば知るほど自分のちっぽけさに気づくようになったし、自分のやってる仕事のバカバカしさに耐えられなくなってしまった。これはとても辛いことだ。昔はそんなこと思うことなく、目の前の仕事だけをやればいいと熱中していられたのに。
 私は今年も先輩からフジロックに誘われたが、それを断った。これ以上あっちの世界に漬かってしまったら自分が壊れてしまうと思ったから、シューヤ君のところに行って、「お願いだから、今年はフジロックには行かせないと言って!」と頼んだのだ。シューヤ君は優しい口調で「わかった。キンコをフジロックには行かせない」と言ってくれて、私は「よろこんで!」と笑顔で言った。私はもうフジロックには行かないし、シューヤ君が行かせてくれないだろう。2009年のフジロックは楽しい思い出だったけど、私にはもうあまり関係ない。シューヤ君と穏やかで静かな人生を過ごしていくのだ。