我が社を変えた名コーチ

 我が社にコーチが配属されてきた。会社にコーチ? 誰もが最初は面食らった。野球選手でもない、単なる平社員にコーチが必要なのか? 社長の言い分はこうだった。「君たち社員はまだまだ未熟者である。それゆえに私は企業の金でコーチをつけて、みっちりとしごいてあげようではないか」と。
 やってきたコーチは見るからにコーチと言った風貌だった。筋骨隆々でちょびヒゲを生やしていて、短パンがよく似合う。声がやたらとデカくて、相手に威圧感を与えるが、のみに行くとやたらとベタベタしてきそうなところなど、コーチっぽすぎるほどだった。
 コーチは私に特に目をつけたようで、よく人前で頬を殴られた。理由は、キーボードの打ち方がうるさいだとか、姿勢が悪いだとか、目つきが悪いだとか、声が小さいだとか、そういったものだった。私は何度か社長にコーチとの相性が合わないから会社を辞めたいと伝えたが、社長は頑として受け入れてくれなかった。全て私のためを思って指導しているのだからということだった。
 ある日、私は社員たちが見ている前で泣き崩れてしまったことがあった。純粋にコーチの鉄建が痛すぎたのだ。30過ぎで部下もいる男がオイオイと泣いているのを見て、女子社員たちは目をそむけた。すると、コーチはそんな私をトイレまで連れていき、こう言った。
「あそこまで痛めつけるつもりはなかった。すまなかった。ただ、他の社員の手前、あそこまでやらないと緊張感を保てないんだ。俺がやっていることは体罰であり、暴力行為かもしれない。でもな、これは必ずおまえのためになると思ってやっているんだ。俺は長年コーチをやっているが、伸びない奴は指導しない。おまえが伸びると思っているから殴るんだ。そこをわかってくれ。もしもこの指導をおまえが乗り越えたら、社会人としては無敵になると思うぞ」
 私はコーチに抱きつき、社員の前で泣き崩れた時よりも大きな声でオイオイと泣いた。その声をオフィスで聞いていた社員は、さらにこっぴどく殴られていると思ったという。
 だが、このコーチとの会話を経て、私は格段に社会人としてのスキルが上がった。取引先の人間からも坂東さんは雰囲気が変わったと言われるようになり、ヤクルトのおばさんから電話番号を渡された。私はこの年になって成長すると思わなかったから、コーチに、そして社長に感謝してもしきれないほどの気持ちだった。
 そんな私の変化を見ていたからか、最初はコーチに文句を言っていた若手社員も、今では有無を言わさずコーチの言うことを聞くようになった。社内では今日も緊張感がみなぎり、コーチに忠誠を誓う者たちの声が飛んでいる。
「コーチ、もっと殴ってください!」
「コーチ、こんなもんじゃ足りません!」
「コーチ! コーチ!」