キクラゲすくいと猫なで

 ある朝目覚めると、枕元に自分の字で「キクラゲすくい」と書いたメモがあった。夢の内容は覚えていなかったが、きっと夢からなんらかのメッセージを感じ取った自分が、寝ぼけながら頑張って書いたのだろう。
 私はその時、真剣に転職を考えていたので、もしかしたらこの言葉がヒントを与えてくれるのかもしれない。日本職業相談所というところに電話して、キクラゲすくいという職業があるかどうかを確認した。すると、答えは否だった。
 いきなり暗礁に乗り上げた私は祖母に電話してみることにした。祖母なら何でも知っているに違いない。昭和初期の時代には、もしかしたらキクラゲすくいという職業が町の片隅で行われていたのかもしれないのだ。
 しかし、祖母の答えもつれないものだった。
「キクラゲすくい? そんな職業あるわけないだろ」
「本当に? よく考えてみてよ。近所のおじさんとかが、キクラゲをすくいますとか言って夕食時にやってくることってなかった?」
「なかった、なかった。わしはキクラゲが好きだからね。他人に任せるはずがないよ」
「そうか。残念だな」
「おまえ、それがどうかしたのかい?」
「実は僕、今転職で悩んでるんだけどさ、夢の中でキクラゲすくいに関するメッセージを受け取ったみたいなんだ」
「それなら、自分でやってみるがいい。世界初の職業って言ったら素敵なもんだろ。わしがキクラゲを好きだということもあるけど、成功する気がするよ」
 この祖母の言葉に感銘を受けた私は、世界初のキクラゲすくいになるべく特訓を続けた。自らキクラゲをすくう網を作った。キクラゲにちょうどいいサイズは、3cm×5cmだということがわかった。毎晩スーパーで大量のキクラゲを買うものだから、ある日からキクラゲの棚に「お1人様2点まで!」というポップが貼られるようになった。すると、私は別のスーパーでキクラゲを買い荒らした。
 キクラゲをすくうトレーニング方法は簡単た。鍋に様々な野菜を入れて、短時間でキクラゲだけをさっとすくいだす。この時に、キクラゲが切れないように注意しなくてはならないのがポイントだった。
 ある程度キクラゲをすくうのが上手くなると、私は営業活動をしなくてはならなくなった。黙っていて仕事が勝手にやってくるほど甘くはない。主に近所の居酒屋やラーメン屋に行き、キクラゲが嫌いな人がいないかどうかを聞いて回った。だいたい20人に1人はキクラゲが苦手だったので、キクラゲをとってあげると喜んでもらえた。すくったキクラゲをキクラゲ好きな人に食べさせてあげるとさらに喜ばれたものだった。
 最初はこのように地道にやっていた活動も、ある日「王様のブランチ」に「変わった職業の人がいる」ということで取材されて以来、仕事がひっきりなしに来るようになった。なぜか会社経営者や政治家の人たちはキクラゲが苦手な人が多いため、時には料亭で何時間も待たされることもあった。キクラゲの料理が出てくると、気配を消したまま間髪入れずにキクラゲをすくう。1すくいだけで2万円もらえる日もあった。
 時には海外出張をすることもあった。キクラゲを使う料理はアジア圏が多かったので、大体近隣諸国が多かったが。
 事業がある程度軌道に乗ると、同じようなことをして真似しようとするフォロワーも出てきたが、彼らは技術が伴わず、やがて淘汰されていった。祖母は私がテレビや雑誌に出るたびに近所の友達に自慢したそうだ。自分の孫が大好きなキクラゲに関わる仕事をしてくれて本当にうれしい、と。
 やがて私にも息子が生まれ、息子がある日、キクラゲすくいを継ぎたいと言ってきた。しかし、私は即座に断った。息子にはやはり、この世の中に存在しなかった新しい職業を生み出してほしかったのだ。
 息子は困り果て、様々なおかしな職業を思いついては失敗した。すると、ある日夢のお告げで見たのか、枕元に自身の字で「猫なで」と書いていたそうだ。つまりは猫をなでるという職業。私はそれを聞いたとき、直感で成功すると確信した。するとその予想通り、息子は世界初の「猫なで」という職業で大成功した。息子はもともと手のひらが柔らかかったので、猫にはその感触がたまらなかったのだ。
 私と息子はこの成功により、各地でよく講演会を依頼されることになった。親子で世界初の職業についたのが世界初だというのだ。私と息子は自分たちに伝えられることがあればと思い、全国を遊説した。すると、その甲斐があったのか、翌年からは普通に就職活動をする若者が激減し、誰もが自分が最初となる世界初の職業をするために躍起になった。こうして日本は、世界に誇れる唯一無二の職業が溢れる国となった。