今はもうそういう時代じゃない

 タイムテレビがあっさりと発明されて、2年が経っていた。タイムテレビとは、この地球上の過去のどの時間の出来事も見ることができるテレビだ。それはどのような構造かと言うと、空気中に含まれるバクテリアなどの成分などに刻まれたDNAを解析し、これまで地球上で何が行われてきたかを映像を再現するものだった。過去に遡るほど、映像は荒くなるが、それでも800万年前くらいまでの映像は再現できた。
 こうして、人類が過去へ行くタイムマシンのような機械は物理的に発明するのがいまだ難しいと言われている中、タイムテレビのおかげで人類がどのような進化をたどってきたのかがほとんど解明されたわけだ。
 猫沢大学の研究室では、教授の阿藤と助手の若山が話していた。阿藤はこのタイムテレビを使ってある集計をしており、明日記者会見を行うつもりだった。若山は結果がどうなったのかが気になって仕方がなかった。
「で、阿藤教授。なんだったんですか? 人類がこれまで一番たくさん発してきた言葉は?」
 阿藤は人類が初期言語を話したとされる10万年前までの映像を全て集計し、スーパーコンピュータを使い、なんという意味の言葉が最も多く話されてきたかを数えていた。
 阿藤はタバコの火を消して、若山のほうを向いて言った。
「聞いて驚くなよ。それは“今はもうそういう時代じゃない”だ」
「“今はもうそういう時代じゃない”? なんですか、それ。教授それ、作ってるでしょ?」
「いや、それが本当なんだ」
「いやいや、僕だってね、一応科学者のはしくれですけどね。いろいろ自分なりにシュミレーションして予想してみたんですよ。その中には“今はもうそういう時代じゃない”なんて入ってなかったです」
「ほう。じゃあ聞かせてもらおうか。そのキミの予想とやらを」
「ええ、もちろんですとも。たとえば、“今日は暑いね”とか、そういう天気や気候に関するものはどうですか?」
「キミは本当に文化人類学を勉強したのかね? 地球上には一年中冬の地域もあれば、夏の地域もある。“今日は暑いね”とか“今日は寒いね”などの言葉は地域によってかなり偏りがあるだろう」
「なるほど。じゃあ、食べ物に関するものはどうです? “最近パンが高くなったね”とか“美味しいなあ”とか」
「それも地域や時代によってバラバラだよ。中には、美味しいという概念を持たない国もあったくらいだ」
「なるほど。じゃあ、“大丈夫?”とかの、人をいたわる言葉はどうです?」
「それもかなり地域差があるな。人をいたわる文化を持つ国は意外と少ないものだ」
「チキショー、悔しいなあ。じゃあ、これはどうです? “愛してる”! 人は愛を語らうことで子孫を繁栄してきました。この言葉がなくては我々は今ここにいないはずです」
「残念ながら、それも文化によってまちまちなんだよ、若山くん。愛を人前で語るようになったのはここ最近のことだし、今でも国によっては愛は口に出すものじゃないという風潮もあるくらいだ」
「しまった…。僕の勉強不足でした。完敗です」
「わかったならそれでよろしい。じゃあ、これを聞いてみたまえ」
 阿藤はコンピュータの再生ボタンを押し、これまで人類が発してきた“今はもうそういう時代じゃない”という言葉が洪水のように再生された。翻訳機をつけないと、ほとんどの言葉が何を言っているのかわからなかったが、若山はその口調とトーンから、“今はもうそういう時代じゃない”と言っているのがわかった。彼らはみな、自分が時代の最先端を生きていると思い、過去に生きる者たちを軽んじてきた。そのまた明日には、別の人が同じ言葉を吐くということも知らず。
 それらの言葉を聞きながら、若山自身も昨日まさにその言葉を言ったことを思い出した。
「教授、そう言えば僕も昨日、後輩たちと飲みながら得意げにその言葉を言っちゃってましたよ。“今はもうそういう時代じゃない”って」
「だろ? どこの国であろうと、いつの時代であろうと、誰もがその言葉を発してきたんだ」
「この結果を発表したら、みんなぞっとするんじゃないですか」
「私としてもそれが狙いだ。この事実を発表すれば、現代に生きることに優越感を感じる者は誰もいなくなる。自分の人生が自分のみに与えられた特権のように生きる者は誰もいなくなる。あくまでも自分は大きな流れの中の一部分であって、未来にその記憶を伝えるたけのDNAの運び屋でしかないということが実感できるようになるはずだ」
「教授!」
 こうして阿藤は翌日、この研究結果を発表した。世界はまるで蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、しばらくは誰もこの言葉を言うのを恥ずかしくて避けていた。
 しかし、半年もすると、このニュースのインパクトは薄れ、誰もがそれまでと同じように、したり顔で“今はもうそういう時代じゃない”と言うようになっていた。阿藤はそんな人類を見て、この言葉が1位の座を奪われることは永遠にないのだろうと思った。