同窓会の練習

 30歳まであと1年という年齢になって、横田は初めて同窓会というものを意識した。横田は小学校の頃は存在感がまるでなく、中学は私立に進んでいた。しかも、親の都合でその後何度か引っ越しをして住所が変わっていたため、呼ばれる可能性は限りなく薄かった。
 しかし、横田は同窓会に自分が呼ばれない可能性があるとは少しも思わず、もしも呼ばれた時にどんな顔をしていいのかということを考えたら眠れなくなった。横田はもともと神経症的なところがあり、どんな些細なことでも一度気になりだすと他のことが手につかなくなる。横田の仕事は時計の部品を作る仕事で、細かい手作業が要求するので、このぼんやりとした感じは命取りだった。上司の福間さんからも何度も注意を受け、横田はなんとかしなくてはならないと考えた。
 横田はそれ以来、同窓会を舞台にした小説などを読み漁った。ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』、水田美意子の『殺人ピエロの孤島同窓会』、藤子・F・不二雄の『パラレル同窓会』、赤川次郎の『百年目の同窓会』などなど。それらによると、同窓会では実にいろんなことが起こるらしかった。幻滅、共感、再燃、驚愕、怨恨……。
 横田は震えた。もし自分にこのような事態が降りかかってきたとしたら、果たして正常にやりすごすことができるだろうか? あまりに動揺しすぎて、その後の仕事に影響が出ないだろうか?
 そこで横田が思いついたのは、同窓会の予行演習をやろうということだった。その日から横田は眠らずに、あらゆる同窓会で起こり得ることをシュミレーションし、準備を重ねた。卒業アルバムを17年ぶりに取り出し、クラスメイトたちの写真をトリミングし、17年の月日が経ったと仮定して加工した。その写真を計42枚、自分以外のものをお面にした。もしも自分が幹事になった時のことも考え、同窓会の葉書を作り、当日の店を予約した。料理はもちろん、多くの人が食べられると思われる和食で、ちゃんとくつろげる畳の席にするのも忘れなかった。
 予約をした日になり、横田が1人で行くと店員は怪訝そうな顔をした。横田を入れて43人分の食事が用意してあったからだ。横田は自分以外急用ができてキャンセルになったことを伝え、きちんと支払いはするので心配しないでほしいと伝えた。横田のその何かを内に秘めた様子が店員には不気味に見え、何も言われなかった。
 横田はまず乾杯の音頭をとり、「ご歓談といきましょう」と言った。こうして横田のひとりぼっちのご歓談タイムが始まった。
 横田はそれぞれのお面をつけたり外したりして、43人を演じた。
「棚橋絵里子、おまえ少し太ったんじゃないの?」
「仕方がないじゃない。仕事のストレスがあるんだから。神保くんこそ、少し老けたんじゃない?」
「お、棚橋、おまえ西城のこと好きだったんじゃないのかよ?」
「何よ、遠藤くん。遠藤くんだって、あんなにうつつをぬかしていた美佐枝ちゃんはどうしたのよ。もっと話しかけなさいよ」
 会話の合間には、「おい、横田。ビールあと3本な」と自分で自分を呼びつけ、「仕方がないなあ。みんな強いんだから」と横田自身に戻り、店員にビール3本を注文した。店員は1人で真っ赤になりながら膨大なビールの量を消費している横田を見て、なんて変な客なんだろうと思った。これまでこの店員は3年アルバイトとして働いてきたが、ここまで気持ち悪い客は初めてだった。
 横田は2時間の間、おそろしいほどの量の酒を飲み、自分で自分と喧嘩をし、自分で自分を口説き、自分で自分との再会を懐かしんだ。それらすべてを43人分まんべんなく演じ、全員の人格を把握した気分になった。もうこうなったら、おそらくどんな事態が起こっても自分は対処できる。そう確信した横田は、ひとりで43人分の会計になる16万円を払い、店を出た。
 店の外では一本締めをひとりで済ませ、2次会に行く人は行くようにと伝えた。横田は2次会まで付き合う気はなかったので、ここから先は誰かに仕切りを任せようと思った。しかし、横田は駅へと歩く途中に、あることに気付いた。当時一番可愛いと思っていた斉藤孝美のメールアドレスを聞き忘れたことだ。横田は急いで店の前に戻った。もちろんそこには誰もいなかったが、横田は急いで斉藤のお面を取り出し、それをはめた。お面を外した横田は斉藤に気付いた自分を演じ、「斉藤さん、2次会行かなかったの?」と聞いた。斉藤のお面をかぶった横田は「うん」と答えた。横田はお面を外し、「あのさ、メールアドレス教えてくれない?」と言った。斉藤のお面をかぶった横田は「ごめん…。私の彼氏そういうのうるさいから」と言った。お面を外した横田はぐったりと落ち込み、「そうか…わかったよ。ごめんね。今日はお疲れさま」と言い、再びトボトボと駅へと歩いていった。アドレスをゲットできなかったのは悲しかったが、それでもきちんとトライした自分を褒めてあげたいと思った。