ベネズエラのグラビアアイドル

 事務所の社長に呼び出された時、安藤節子は遂にクビになるのかと思った。節子は2年前に御徒町の団子屋で団子を食べているところをスカウトされ、以後グラビアアイドルとして活動してきたが、仕事はほとんどなかったからだ。
 社長室に入ると、社長がやけに真面目そうな顔をして言った。
「節子、おまえベネズエラに行け。おまえは日本人に受ける顔じゃないんだ」
 節子の顔はよくハーフと間違えられるほど彫りが深く、純日本人だと言っても誰も信じてもらえなかった。
「あとは名前も悪かったな。俺が安藤ジュリアとか安藤パウリナとか、それらしい芸名をつけてやればよかったんだが、その顔で節子だと確かに売れないわけだ」
「社長、でもどうしてベネズエラなんですか」
「思いつきだよ。思いつき。おまえの顔は南米っぽいし、向こうでも日本から来たグラビアアイドルと言えば珍しがってくれるだろう」
 こうして社長に丸め込まれるようにして、節子のベネズエラ行きが決定した。六本木の居酒屋で送迎パーティが開かれ、オリックスカブレラ選手とバルディリス選手、ソフトバンクのペタジーニ選手、巨人のラミレス選手など、野球に詳しくない節子でも知っているような顔ぶれが出席していた。
「オメデトウ。節子サン。ベネズエラ、トッテモイイトコロ。アナタ、キット成功シマス。今日ハ、来テクレテアリガトウゴザイマシタ。ヨロコンデ!」とラミレスが言い、カブレラは丸太のように太い腕で節子の頭をずっと撫でていた。ペタジーニは節子のほうには全く近寄ってこずにオルガ夫人といちゃついており、バルディリスは部屋のはしっこで黙々とひとり酒を飲んでいた。
「社長、ありがとうございます。私のために、こんなに有名な人たちを呼んでくれて」
「いや、ベネズエラ大使館の人に話をしたら呼んでくれたんだよ。彼らはお酒が大好きらしくてさ。こういうパーティがあると、すぐに飛んでくるんだって」
 しかしながら、これらの野球選手たちはただ飲みに来ただけとは思えないほどの優しさを発揮してくれ、節子にベネズエラに住む家族や友達の連絡先を山のように教えてくれた。節子のアドレス帳はロドリゴとかロドリゲスとか、似たような名前でいっぱいになり、家に帰ってから誰が誰の友達かを整理するのに苦労した。

 節子のベネズエラでの最初の宿泊先はカブレラの友達のロドリゲスの家だった。節子はてっきり事務所がアパートを見つけて家賃も支払ってくれるのかと思ったが、社長は「そんなにたくさん友達を紹介してもらったなら、なんとかなるだろう」と言って飛行機代しか出してくれなかった。
 節子は卒業旅行の時に友達とハワイに行ったことしかなかったから、不安で仕方がなかったが、空港にはロドリゲス一家がこぞって待ち構えており、手厚い歓迎を受けた。節子はその時、小さい頃おばあちゃんの家に行くたびに歓迎されたことを思い出した。
 しかし、こうしてベネズエラの生活が無事に始まったものの、節子はどうやってグラビアアイドルとして活動していいのかわからかった。ロドリゲスの知り合いで雑誌のカメラマンがいるというので、水着で何枚か写真を撮ってもらったが、どこのどんな雑誌に掲載されたのか結局わからずじまいだった。
 節子は一度だけテレビに出演したこともあった。それはペタジーニの妹の旦那の同級生の弟がテレビのディレクターをやっていた縁で実現したことだった。しかしその番組は、ただの料理番組で、節子はゲストが作る謎の魚料理を食べて、「bueno」(美味しい)か「malo」(不味い)というボードをあげるだけのものだった。どうやらベネズエラの人たちは日本人は彼らよりも魚に詳しいと思っているようだった。
 こんな風にして、グラビアアイドルらしいことは何もせずに1年が過ぎていった。社長からは3ヵ月に1回ほどメールが入る程度で、全く気にかけてもらっているとは思えなかった。節子は特にアルバイトなどで金を稼いだりしなかったが、生活には不自由しなかった。とにかく最初に泊めてもらっていたロドリゲス一家をはじめ、居候させてもらう家の家族がたらふく食べさせてくれるからだ。節子がお礼をしたいからアルバイトしたいという旨を伝えると、彼らは「節子はグラビアアイドルとしての夢にもっと時間を使うべきだ」と言って働かせてもらえなかった。
 だが、そんな周囲からの期待もむなしく、節子は体型を維持することができなくなっていた。食べる量や飲む量がハンパではなかったし、ベネズエラは日本とは違い時間の進み方がのんびりだから、暇があるとついゴロゴロしてしまうからだ。節子のウエストは肉付きがよくなる一方で、ベネズエラ人と言ってもわからないような体型になった。
 社長のメールはやがて来なくなり、節子はバルディリスの弟の中学時代の同級生にプロポーズされて結婚し、2児をもうけた。最初に送迎パーティを開いてくれた野球選手4人はベネズエラに帰郷した時にいつも電話をしてくれて、そのたびにワイワイとみんなで集まって飲む。その時、彼らは節子のことをグラビアアイドルと言って紹介するが、節子は否定も肯定もしなくなった。節子は結局、当初の夢は全くと言っていいほど達成できなかったが、こんなに楽しくていいのだろうかと思うほど毎日が幸せだった。あのままグラビアアイドルを辞めて就職でもしていたら、こんな思いは絶対にできなかったに違いない。今ではほとんど連絡をとることがないが、思いつきであれ、ベネズエラに行けと言ってくれた社長への感謝の気持ちが薄れることはなかった。