この書き出しが悦

 馬の脚のようだ。この貧困な精神の塊。我はただ圧縮する。サイロンのごときニヒルを。友人の桟橋が春になると背中がくすぐったいという。言いえて妙。さながら押し上げ。クライアントの瞬きにせっつかれて、ランドセルを背負いたてのような小学生のような高揚感を身にまとう。さらば幼少期。これが新たなる誕生日になるか否かは、この後の自分の生き方にかかっているのだ。


 美山一樹は自分が8年前に書いた日記の書き出しを読んで、感動のあまり足元がガタガタと震えた。俺は8年前の自分が思い描いたとおりの道を進んでいる。こんな書き出しを書いた自分に惚れる。今すぐTwitterで、この書き出しを流そう。そして世界に向けて、俺の声を聞かせよう。なんて格好いい男なんだ。俺、ひたすら圧倒的。
 Twitterに流すと、すぐに世界に散らばる俺のフォロワーからの反応があった。「一樹さん、格好いいっす!」「一樹さん、惚れ直したっす!」違う。俺が聞きたいのはそんなおざなりな褒め言葉じゃない。もっとハートを震わせてほしい。世界には俺のハートを震わせる人間はいないのか?
 その答えを俺は知っている。俺のハートを奮わせるのは俺しかいない。俺は今日のこの思いを再び日記に書く。


 朝になると声が聞こえる。他の誰でもない俺の声だ。過去の俺が、未来の俺が、その道でいいんだよと言って小鳥のような声でさえずっているのだ。ただし、道なき道のみ。道あり道は俺にとって道じゃない。全てを切りひらく男、美山一樹。俺の辞書には「後ろ」という言葉はない。


 俺はこのあまりに美しい書き出しを見て、体内のアドレナリンがギュンギュン駆け巡るのを感じる。そうだ、あいつに連絡しよう。この全能感を共有できるのはあの男しかいない。アフロバティック新宿のデザイナーをやっている小学校からの同級生の鹿原。奴ならこの感覚がわかってくれるはずだ。俺は鹿原に電話する。あうんの呼吸で約束が決定。そして会話、果てしなく盛り上がる。