生涯一バンド主義

「来週はね。ロンドン弾丸ズ、ゴースト水戸ナットウ、Thinking at Teacher’s Kitchen、カワハラシンゴと暴動定食屋、トロピカル・コパトーン920の5バンドを観に行くんだ。あー、忙しい、忙しい。いくら働いてもライブ代だけで全部消えちゃうよ」
「何言ってるのよ。あんた40歳にもなって、ロンドン弾丸ズって。あんなの10代の子が聴くバンドでしょ。そんな新しいものばかり追いかけてる人生って楽しいの? きりがないじゃない」
「楽しいわよ。だって、郁恵だって、いまだに警告警備隊のライブに行き続けているじゃない」
「私はね、生涯一バンド主義を貫いているの。人の一生なんてめちゃくちゃ短いんだからね。そんなにいろんなバンドを聴いている時間なんてないの。萌みたいに目移りしていたら、あっという間に人生終わっちゃうんだから」
 郁恵の言葉に、萌はさすがにカチンと来た。郁恵は確かに警告警備隊のライブに何十年も行き続けていてすごいとは思う。飽きっぽい萌には到底できないことだ。だが、郁恵のルックスを見て欲しい。いまだに90年代から抜け出ていないファッションだし、若い子と話すと、すぐに私最近のバンドわからないと言って会話を切り上げたがる。そんなおばさんと誰が話したがるだろうか? 新しいバンドに詳しいおばさんのほうが、若い子は話していて楽しいんじゃないか?
「郁恵が私のことを批判するのもわかるけどさ。そんなに同じバンドばかり聴いてたら人間的成長がないんじゃない? 少なくとも私はロンドン弾丸ズやゴースト水戸ナットウのライブを聴いて、人生変わったわよ」
「何が人生変わった、だわよ。40歳にもなって何言ってるの? バンドのライブ観て人生変わるわけないじゃない。だったら、なんで貴女はいまだにアルバイトで独身なのよ」
「そりゃあ、郁恵だって一緒じゃない。アルバイトで独身。稼いだお金は全てバンドに遣う。世間の人から見たら、2人とも十分に痛いおばさんよ」
「違うの。そこが萌の甘いところ。私は警告警備隊に人生を捧げたんだから、いいのよ。この人生は警告警備隊のものなんだから。それを一番に考えて何が悪いの? それよりタチが悪いのは萌のほうだって言ってるでしょ。新しいバンドが出てくるたびに、その尻を追いかけて。萌がおすすめしてくるバンドなんて毎回違うじゃない。最近これがヤバイらしいよーとか言って。こないだおすすめしていたゴキブリなんとかはどうしたのよ?」
「ピー&プー・ゴキブリ・ファクトリーね」
「そうよ。そのバンド。あんなに、いい、いいって言ってたのに、最近は全然ライブも行ってないんじゃない?」
「だって、あのバンドは新譜がそんなによくなかったから」
「ほら! その程度じゃないの。新譜が悪かったから〜とか、ライブが勢いがなくなった〜とか、歌詞の毒がなくなった〜とか、そんなことで簡単に見放しちゃってさ。私にすすめていたあの時の勢いは何だったのよ? 嘘じゃない? バンドを好きになるって言うのはそういうことじゃないの。何があってもそのバンドに身を捧げる覚悟よ。萌にはそれがない!」
 郁恵が投げつけたオレンジジュースのグラスは萌の額に当たり、血がトロトロと流れ出てきた。従業員としてその店で働いていた道畑六郎は急いでタオルを持って行き、萌の額から出る血をふき取った。
「あなたはどう思うのよ?」
「え?」郁恵に聞かれた道畑は、まさか自分に振られるとは思わず、マヌケな声を出した。
「私たちの話、聞いてたんでしょ。あなた、格好からしてバンドマンっぽいわよね。さっきからじっとして私たちの会話に耳を傾けていたの知っているんだから」
 図星だった。バンドマンも大当たりだった。道畑はこのおばさん2人は何を激しく言い争っているのだろうと思って、興味津々で聞いていたのだ。
「はい、聞いていました」
 萌が血を押さえながら、ちらりと道畑に目をやった。
「聞いていましたが、正直どっちでもいいと思います。生涯一バンド主義も美しいとは思いますが、やっぱり新しいバンドを聴き続けることも大切ではないでしょうか」
「そんな優等生的な答えが聞きたいんじゃないわよ。あなたはどうなの? あなたのバンドのファンにはどう思っていてほしいの?」
「やっぱり……他のバンドのファンには目移りしてほしくないかな」
「ほら! そう来たよ。少年はそう言ってるよ。ねえ、萌、あなた聴いた? これがバンドマンたちの偽らざる気持ちなのよ。バンドマンは生涯一バンド主義でいてほしいの。あなたみたいな目移りウツ子ちゃんには興味ないの。わかったら、さっさと顔あげなさいよ」
 萌は涙をこらえながら立ち上がった。
「わかったわ。私もこれからはもう少し人生を賭けたようなバンドの聴き方をするわ。ただ、郁恵も少しは私がすすめる新しいバンドにも興味を持ってちょうだい」
「そうね。少しぐらいは妥協してあげちゃおうかな」
 そう言って郁恵と萌が手をつないで店を出て行くのを見て、道畑はこの2人の間には簡単には崩れない友情の絆があるんだなと言うことを感じていた。