感電する言葉

 さつき書店大崎店に新入社員として入ってきた森永隼人は、仕事中によく倒れると職場で噂になっていた。店長の小菅も一度、森永が倒れる瞬間を見たことがある。本を整理していた森永はいきなりビリビリとまるで感電したかのように痙攣して、そのまま床に倒れこんだのだ。
 その奇行を見過ごせないと思った小菅は、朝礼の時に社員たちの前で、森永に詳しく事情を聞こうとした。
「森永君は、何か健康にでも問題があるのかね。あるのだったら、しっかり病院に行かないといけないと思うが」
「その話なんですが、実は…」
 森永がみんなに話したところによると、森永は言葉に対しての感受性が異常に高く、普通の人がジーンと来るようないい言葉を見たり聞いたりしてしまうと、心が震えすぎてビリビリと全身が感電してしまうのだそうだった。
「ということは…、『あきらめたらそこで試合終了だよ』とか?」
「『高ければ高い壁のほうが上ったとき気持ちいいもんな』とか?」
「『四つ葉のクローバーを見つけるために三つ葉のクローバーを踏みにじってはいけない。幸せはそんな風に探すものじゃない』とか?」
 それぞれの書店員が今思いついた限りの名言を口にすると、
「やめてください! ビリビリ!」
「ああ、そんないい言葉! 僕には刺激が強すぎるビリビリ!」と言って、森永の身体は痙攣しだした。
 小菅が森永に手を差し伸べて言う。
「みんな、そのくらいにしておかないか。どうやら見ての通り、君は本当に感受性が高すぎる人間らしいな。じゃあひとつ聞くが、どうして本屋なんかで働こうと思ったんだ」
「本屋で働けば、いい言葉がそこら中に転がっているから、自分もそれに慣れて感電しなくなるかと思ったんです」
「ショック療法のようなものだな。それなら、君のその意志を尊重しよう。これからは特に気を遣わずに働いてもらうけど、いいかな」
「はい、ぜひお願いします!」

 しかし、こうやって意気込んだのはよかったが、森永はその後も勤務中に何度も感電して卒倒した。時には、客から「『ミスをしない人間はいない』って本ありますか?」と本のタイトルを問い合わされただけで感電してしまうこともあり、あの書店員さんは気持ちが悪いとの苦情も入った。
 そして面白いことに、全くいい言葉がどこにもない本を読んでも、森永はなんともならないのであった。
「森永君、この本すっごくつまらないから読んでみて」
「本当だ。全然心に響く言葉がないですね。ああ、こういう本は癒されるなあ…。感電する恐れがない本は、読んでいて気持ちが落ち着きます」
「森永君にとって、本当にいい本は劇薬なんだね」
 一方で、森永が感電すればするほど、いい本であるとされた。森永が仕入れの時に感電しまくった本は平積みにされ、飛ぶように売れたものだった。

 しかし、このショック療法も全く効き目がなかったようで、森永が感電することが止むことはなかった。むしろ毎日のようにいい言葉を見たり聞いたりしていたお陰で、感受性はさらに豊かになり、ますます些細な言葉で感電するようになっていった。
 そして、ついにその日がやってきた。
「小菅店長、森永さんからの辞表が郵送にて届きました」
「何? 本当か? ちょっと見せてみろ」
 そこには森永の几帳面な字でこう書いてあった。

「拝啓 さつき書店大崎店の書店員の皆様。
 僕は仕事を辞めさせていただきます。
 もうこれ以上は身体が持ちそうにもありません。
 昨日感電した時も正気に戻るまでに30分ほどかかり、
 このままでは自分の命の危険性も感じるようになりました。
 医者に診てもらったところ、僕の心臓はボロボロだそうです。
 なので、大変申し訳ないのですが、今日をもって退職ということにしてください。
 僕はこれから日本語の使えない国に行って、そこで暮らすことにします。
 そうすれば周りの人が何を言っているかわからないから感電することもないでしょう。
 でも、きっと何年もすれば、その国の言葉もわかるようになり、
 感電することになると思うので、
 またしばらくしたら、別の国に行きます。
 僕はこうして生きるしか道がないようです。
 さよならみんな。とても楽しかった。
 森永隼人」

 それを読んで書店員たちはオイオイと泣いた。森永はみんなからとても好かれていたのだ。
「みんな泣くな」小菅店長が言う。「森永にとってはこうするしかなかったんだよ。今はどこに国にいるのかわからないが、俺たちで奴の幸せを祈ろうじゃないか。ただ、忘れてはならないのは、言葉とはそれほど怖ろしく破壊力のあるものなのだ。言うならば、書店員とは劇薬を人々に売る危険な商売だ。扱い方次第では、それは人の生命すら脅かすこともある。みんなもそれを心して働いていってほしい」
「わかりました!」書店員たちは大きな返事をし、涙を拭いて、それぞれの持ち場へと散らばっていった。