女優である、ということ

 深津絵里さんがモントリオール映画祭の主演女優賞をとったことで、稲積多佳子の女優としてのモチベーションは一気に高まった。多佳子はエキストラ専門の女優で、これまでにも7作品もの映画に出演歴がある。多佳子はその中でも、現在公開中の『ちょんまげぷりん』の中に12秒ほど出演しており、この演技に特に自信があった。多佳子が演じた役は通行人Pで、宝石屋のウインドウを物欲しげに眺めている女の子という設定だった。多佳子はこの作品の演技の時、学生時代に欲しくて欲しくてたまらなかったティファニーのネックレスのことを思い出し、全精力を注いで渾身の演技をした。撮影が終わった後はひとりで何度も「よしゃっ、よしゃっ」とガッツポーズをし、同じ会社から派遣されているエキストラ仲間から「稲積さん、何かいいことあったんですか?」とマヌケな質問をされた。
 多佳子はこのエキストラ仲間のことを心の底から憎んでいた。たいした志もないくせに、日銭のために登録している連中。このような連中と、自分のような才能のある女優が同じギャラで雇われていることが本当に我慢がならなかった。
 だから、『ちょんまげぷりん』で会心の演技ができた時、この演技ならいずれかの映画祭で賞をとれるに違いないと、この停滞した世界から抜け出せることを確信して喜んだのだった。
 深津絵里さんの受賞後、多佳子は家にいながら受賞の知らせを待った。多佳子は携帯電話を持っていたが、連絡が入った時に地下にいて電波が入らなかったら困るということで自宅に居続けた。携帯電話は窓の下の一番電波が入る場所に置いておいた。
 深津さんの受賞から3日後、多佳子の部屋のピンポンベルが鳴った。多佳子は受賞の知らせに違いないと思い、鏡を見て簡単に化粧を直し、玄関に出た。この時のために、一番お気に入りの紫のドレスを3日間着続けていたため、わきの下からほのかに異臭が漂うのにもお構いなしだった。
 玄関を開けると、そこにはくだびれた雰囲気の初老の男性が立っていた。多佳子は確信した。この人物は、どこかの映画祭から雇われた東アジア担当のエージェントに違いないと。確かに初老の男性は一見くたびれた雰囲気には見えたが、履きふるされて茶色く変色した革靴はビンテージものの高級品のようにも見えた。
 多佳子は満を持して言った。
「どこの映画祭の方でしょうか?」
 男性は戸惑ったような顔を浮かべ、「毎日新聞のものですが、新聞何とってます?」と言った。
 多佳子はそれを聞き、映画祭側も手の込んだことをやるものだと感心した。
「なるほど、サプライズね。新聞の勧誘と見せかけるとはなかなかやるじゃないですか。でも、私はもうこうしてドレスも着こんで準備もできていますので本題に移ってください。車はどこに迎えに来ているのですか?」
「あなた、何を言っているんですか? 私は毎日新聞のものですが」
 多佳子は次第にイライラしてきた。この冗談のわからないエージェントは本当に使えない人物のようだ。多佳子が授賞式に出たあかつきには、彼についての皮肉のひとつやふたつ言わなくてはならないかもしれない。
「あのう、サプライズというのはですね。相手側が信じきっているから面白いのであって、あなたの正体がバレた今、このような茶番を続ける意味はありません。さあ、お互い忙しい身ですし、時間の浪費はこれくらいにして、早く会場に行きましょう」
 すると、温厚そうに見えた男性に、少々ずるがしこそうな表情が浮かんだ。
「ははーん。よくわかりましたね。私は映画祭からの使者ですよ」
「そうでしょ? そんなのわかっていましたよ。ところで、どこの映画祭ですか? カンヌ? ベルリン? ヴェネチア?」
「そうですね。カンヌです。あの滋賀県にある」
滋賀県? カンヌはフランスじゃないの?」
「ああそうですね。最近ではそっちのカンヌも有名ですね。ただ、これ以上詳しくは私の口からは言えませんのでご勘弁を。私はあくまでも新聞の勧誘員を装ったサプライズ使者ですから。あなたに私の素性がバレてしまった以上は仕方ありませんが、とりあえず新聞を2年分とってください。そうでないと、私が新聞の勧誘員を演じた意味がありませんから」
「とるわよ! とるとる! 私だって女優ですからね、演技に付き合うことなんてわけないわ。あーら、新聞屋さんじゃない。2年分? お安い御用よ、なんだったら5年分くらいどうかしら?」
「奥さん、気前がいいですね。それだったら5年分お願いしますよ。代金は勉強させていただいて15万円でいいですよ」
「あーら、お安いのね。じゃあ、ここに15万円あるから、どうぞ持っていってちょうだい」
「毎度ありがとうございます。それでは、この後正式にお迎えが来ますので、私の役目はこれでおしまいです」
 そう言って男性は自転車に乗って去って行った。15万円は多佳子の全財産だったが、こんなところで貧乏な生活を見せるわけにはいかないと思い、見栄を張って奮発したのだった。賞をとれば、映画の出演依頼なんてひっきりなしに舞い込んでくるだろうから、15万円なんて簡単に返すことができるはずだ。


 多佳子はその後、待てど暮らせど、映画祭からの受賞の知らせを受け取ることはなかった。ご丁寧にも毎日新聞だけは毎日配達され続けた。しかし、多佳子はフランスと日本は離れているため、そこは何かの手違いがあったのに違いないと思って気に留めなかった。確かにレッドカーペットで世界中の報道陣から質問されたり、授賞式のスピーチで「メルシーボク」と言うのも楽しみにはしていた。しかし、重要なのは、賞をとったか、とらなかったか、その1点だけなのだ。多佳子はすでに賞を受賞しているのだから、それ以上欲張っても仕方がないのかもしれない。
 多佳子はそれ以後、履歴書のプロフィールの欄に「カンヌ映画祭助演女優賞」と書くようになり、エキストラ仲間にもさりげなく自慢するようになった。多佳子の口癖は「あなたとは違うんです」だった。やがて多佳子は虚言癖があるため信用できないと言われ、エキストラの会社をクビになってしまったが、これだけの賞の前歴があれば、どこもほうっておかないだろうと思って大手事務所からのスカウトを待ち続けた。