カレー&マッサージのたみや

 阿佐ヶ谷のアパートに引っ越してきてからずっと、気になっていた店があった。店の名前は「たみや」。その横には「カレー&マッサージ」とあった。肌にカレーをつけてマッサージをするのだろうか? それともカレーには内臓をマッサージするような効果があるという暗喩的な意味だろうか。
 あまりに気になって仕方がないため、勇気を振り絞って入ってみることにした。店内にはカウンターがあり、奥にもう1部屋ある。店主はヒゲの生えた30歳くらいの男性で、笑顔が素敵だった。
「ヘイいらっしゃい。お好きな席へどうぞ」
 お好きな席と言われても、他に客は誰もいないため、一番出口に近い席に座った。何かあったらすぐに逃げられるようにするためだ。手元にはメニューがあり、Aセット、Bセット、Cセットの3つしか書いていなかった。
「お客さん、うちは初めてで?」
「そうですね」
「じゃあ、説明させていただきます。Aセットが足裏マッサージとカレー、Bセットが全身マッサージとカレー、Cセットがフェイシャルマッサージとカレーです。どれになさいます?」
「あのう、ただお腹が減ってるんですけど、カレーだけじゃダメなんですか」
「ダメですね。うちはそういう店じゃないんで」
「マッサージとか行き慣れていないもので」
「大丈夫ですよ。安心して! お客さんは女性だから、フェイシャルマッサージはどうです? 女性に人気ですよ」
「じゃあ、そうします。Cセットで」
 こんな店に入ってしまったのが失敗だった。もう二度と来るものか。そう決心しながら、店主に言われるがままにパジャマに着替え、奥の部屋のベッドに寝転んだ。
「じゃあ行きますね」
 そう言って店主の指が顔のツボをグイグイと押してくる。たかが顔と言えど、凝っている部分は多かったようで、あまりの気持ちよさにため息が漏れる。そして気付くと、夢を見ていた。会社に行ったら「今週はサービス有休で全部休みにします!」と言われて喜んでいる夢だった。
「サービス有休……サービス有休……」
「お客さん、お客さん!」
「はい。あ、すみません」
 時計を見ると1時間が過ぎていた。
「ずいぶんよく寝てましたね。サービス有休って何のことです?」
「いや、その、なんでもありません」
 パジャマから私服に着替えようとすると、「そのままでいいですよ」と言われ、パジャマのままでカレーを食べる。カレーはほうれん草やニンジンや生姜やニンニクを細かく刻んでよく煮込んだルーをベースにしており、とてもスパイシーで美味しかった。パジャマを着てリラックスしているからか、フェイシャルマッサージを受けた後だからかわからないが、辛さが身体の隅々まで浸透していくのを感じる。
「お客さん、ここ入ってきた時、失敗したなーって思ったんでしょ」
「へ? ふああ」図星を突かれ、マヌケな声を出してしまう。
「わかるよ。顔を見てれば。カレー&マッサージなんて書かれて怪しいと思わない人なんていないよね。でもね、俺はこんな店、世界のどこを探してもないから誇りに思ってるんだ」
「お店を作ろうと思ったきっかけは何だったんですか」
「カレーとマッサージが好きだったからだよ。最初はカレー屋とマッサージ屋を別々に作ろうと思っていたんだけど、お金がなかったから、じゃあ一緒にやっちゃえ!って。あとはあなたもそうやって全部たいらげてくれたけどさ、俺は女の子とかが食べ物残すのを見るのが好きじゃないんだ。でもさ、マッサージをすれば食欲を刺激して全部食べてくれるんだよ。リラックスしてカレーを食べる。俺はこれ、人生で一番の至福の瞬間だと思うよ」
「なんとなくわかる気がします」言われたとおり、気付いたらカレーの皿は空っぽになっていた。いつも少しだけ残していたのに、マッサージでお腹が減ったのか全部たいらげてしまっていたのだ。
 その後ルイボスティーをいただき、パジャマから私服に着替えて店を後にした。しめて1時間半。フェイシャルマッサージとカレーのCセットの価格は2300円だった。
 その日以来、わたしは「カレー&マッサージのたみや」なしでは生きていけない身体になってしまった。同僚に紹介してあげたらみんな気に入ってくれて、前よりも繁盛するようになった。やがて噂を聞きつけたメディアからも取材が来るようになり、類似店が次々と現れた。かき氷&マッサージ、しゃぶしゃぶ&マッサージ、回転寿司&マッサージなどなど。しかし、カレー以上にマッサージに合う食べ物はなく、田宮さん以上にカレーもマッサージもうまくできる人は他にいなかったため、どの店も長くは持たなかった。
 今では「カレー&マッサージのたみや」も店舗を拡大し、従業員も何人か雇うようになったが、田宮さんの作るカレーの味は落ちていないし、従業員へのマッサージの教育も行き届いているため、何の不満もない。わたしがこの先、どこの街へ引っ越しても、週に2日は阿佐ヶ谷に通うことになるのだろうなあと思っている。