いつまでもライブに行こう

 午後6時、花村紋次は居酒屋で入社3年目の社員2人を目の前に座っていた。紋次はこれから説教をするつもりだった。
「あのさあ、君たちをどうして呼んだかわかる? ぼく、お説教しちゃおうと思うんだよね」
「いや、全然見当つかないです」2人のうち桜庭という男が答える。もう1人の木原という男はぽかんとした顔をして紋次の顔を見つめている。
「そうかあ、わからないかあ。そうだよな。じゃあ言うよ。君たち、確かうちの会社に入ってきた時にさ、ロックが好きとか言って、しょっちゅう定時で仕事切り上げてライブ観に行ってたよね」
「はあ」桜庭が答える。
「なのにさ、どうして最近ライブ行ってないわけ? ロックが好きならさ、ライブ行かなくちゃダメじゃん」
「仕事が忙しくなってきたんで」桜庭がこう口答えすると、紋次は声のトーンを少しあげた。
「仕事が忙しくなってきたからライブ行かなくなるのかよ。おまえのロック好きっていうのはその程度のものなのか? おい木原君、君も黙っているけど、どうなのよ? 最近なんでライブ行かないのよ」
「えっと、あんまり新しいCD買ってないんで」
「出たよー! CD買ってないとか言って。おまえ何歳だよ? まだ20歳前半なのに、50代のオッサンみたいなことを言ってるんじゃないよ」
「すいません」木原は謝罪の言葉を口にしたが、その表情は全然反省の色を浮かべていなかった。
「俺が言いたいのはだ。ロックが好きだったら、一生現役でいろ、な? どんなに大人になっても、仕事が忙しくなっても、家庭を持ったとしても、ライブハウスには行き続けろ。それがロックに人生を捧げるということなんだ。以上。これで俺の言いたいことは終わりだよ。勘定は済ませておいたから、後は2人でゆっくり飲めばいい」そう言って、紋次は2人を置いて帰っていった。
「なんだよ、あの人」木原が2人のグラスにビールを注ぐ。
「おまえ知らないの? うちの会社で有名なライブの紋次さんだよ。あの人、もう53歳なんだけどさ、いまだに週3日ライブ行ってるんだよ」
「は? 仕事はどうしてるのさ。うちの会社残業多いのに、そんなにしょっちゅう定時で帰れるわけないだろ」
「だからいつまで経っても平社員なんだよ。昔は昇進の話もあったみたいだけどさ、ライブを観に行けなくなるのが嫌だからって断ったんだって。その時の台詞がさ、『私の生き甲斐を奪わないでください。私にはライブが全てなんです。もしも昇進してライブが観に行けなくなるんだったら、会社を辞めさせてもらいます』だってさ」
「家族は何も言わないのかな」
「家庭を持つとライブ観に行けなくなるからいまだに独身らしい」
「すごいな、その徹底ぶり。そんなにライブ行くのが好きだったら、自分でバンドやればいいのに」
「自分でバンドやるような人はそこまで人生を犠牲にしてまで人のライブ観に行かないだろ」
「それもそうだな」
「まあ何にせよ。あの人は俺たちにライブ観に行ってほしいみたいだからな。今度何か新しいバンドのライブ観に行くか」
「俺はいいよ。もう社会人だし。今さらライブだなんてそんな」
「まあそうだよな。いつまで経っても子供みたいにロックとかで喜ぶ年じゃないもんな」

 2人がこんな低空飛行の会話をしているのも知らず、紋次はライブハウスに向かっていった。今日観に行くバンド、カミングスーンズはロック雑誌が最近こぞってプッシュしている若手バンドで、今のうちになんとしても観ておかなくてはならないバンドのひとつだった。ライブの内容が良かったら、今日説教した桜庭と木原を連れてこよう。奴らは今頃、俺のロックへの情熱に触れて、ライブに行きたくて身体がウズウズしてるに違いない。来週は確か三茶のヘブンズでカミングスーンズが出るイベントがあったはずだ。その時は先輩社員の風を吹かせて、ライブ代くらいは奢ってやることにしよう。