くだらなくないファー

 映画『悪人』はまだ観ていないが、小説は読んだ。あの話を読むと、私は5年ほど前に某SNSサイトで知り合った、ある変わった男のことを思い出す。
 その人とは音楽や映画の趣味がぴたりと一致しており、半年ほどメールやチャットを続ける関係となった。毎晩のようにお互いの悩みやその日の出来事を語る仲だったから、会うことになるのはそう時間はかからなかった。
 私とその人は品川のステラボールの前で待ち合わせた。その日行われるベル&セバスチャンの来日公演を一緒に観る約束をしていたのだ。私はその人の写真を見たことがなく、メールやチャットの印象だと、マツケンやマツジュンのようなちょっと内気そうなイケメン君ではないかという勝手な妄想を膨らませていた。しかし、待ち合わせ場所に現れたのは、見るも奇妙な外見の男だった。
 男はまず頭髪がひとかけらもなく、ワックスで磨いたかのように激しい光沢を放っていた。これだけなら別に問題はない。ただ、男は眉毛までつるつるに剃っていたのだ。服装はビニールの素材でできた宇宙服のようなものに身を包み、滅菌室から抜け出てきたかのような雰囲気だった。下は半ズボンを履いており、足に生えてあるはずのすね毛もまた、つるつるに剃りあげられていた。
 私はすでに彼とは仲良くなった気になっており、周りの友人には「ソウルメイト発見!」などとのろけていたため、初対面でそのような外見上の驚きを表すのは不適切だと思い、極めて平然を装った。男もそんな私の葛藤には気付かない様子で、チケットを手渡し、親しい友人同士のような距離感で会場に入っていった。
 だがしかし、ベル&セバスチャンのライブにおいては、そのような外見の人間は非常に人目を引くことになった。暗闇の中でも、体中から発せられるその異様な光沢を誰もがジロジロと眺め、私はライブを観るどころじゃなくなった。私はもともと人目を集めるのが好きではないため、一刻も早く家に帰ってこたつでみかんでも食べたかった。
 それでも男は、私のそんな及び腰な気持ちには気付かず、ライブが終わると夕食を一緒に食べようと誘った。私も男と会う前はライブよりもそっちのほうが楽しみだったし、品川の美味しいお店を2人して検索しあったこともあったくらいだから、断ることはできなかった。
 私と男は照明の暗いオシャレな創作料理の店で乾杯した。最初はライブの感想などを話し合ったりと、当たり障りのない話をしていたが、やがて私はどうしても我慢ができなくなり、男の外見に言及してしまった。
「それよりも、ずいぶん独特なファッションセンスだよね」私はなるべく相手を傷つけないように“独特な”という言い方を選んだ。「スキンヘッドも似合ってるし」もし相手が何かの病気だとしたらどうしようと内心ビクビクしていたが、この言い方ならそんなに嫌な気持ちもしないだろうと思った。
 すると、男は私の予想しないようなことを熱弁しだした。
「ああ、これか。くだらないよね」
 同意を求められたらしい私は、一体何が“くだらない”のかわからずに聞き返した。
「くだらないって、何が?」
「体毛だよ。俺はこの世に存在するものの中で、これほど無駄で無意味でくだらないものはないと思っている。ほら、この店で飲んでいる人間たちを見てみなよ。髪の毛や眉毛、ヒゲ……。人間は体毛があることで、その外見を著しく落としている。俺にはもう彼らは、ただの毛の塊が歩いているようにしか見えないんだ。俺はあんな風には絶対になりたくない。俺は徹底した全身脱毛を施しているけど、それでも朝になると2、3本空気の読めない毛が生えてきやがるもんだから、そうなると俺は激昂してカミソリで叩き剃って光沢が出るまで磨くんだ。だからね、君にも言っておきたいんだけどね、仮に俺と君が付き合ったりするとなると、俺は君の体毛も剃ると思う。だって、そうだろ? こんなにくだらないものはないんだよ」
 私は圧倒されながら男の意見を聞いていたが、途中で我慢ならなくなり、席を立った。ここからの記憶は全く覚えていないのだが、たまたまその店で偶然飲んでいたという私の友達から後で聞いたところによると、私は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら捨てゼリフを絶叫し、店の中にいる客たちの注目を独占していたというのだ。
「何言ってるのよ! この毛のおかげで人間がどんなに守られているか知らないの? だいいち、私とあなたが付き合うなんてごめんだわ。だって、そんな、体毛がくだらないなんて言う人と付き合えるわけがないじゃない。体毛はくだらなくない! 体毛はくだらなくなんかないのよ!」