よう子の指摘

 人間は食べないと生きていけない。たとえそれがどんなえらい人間であったとしてもだ。食べることが何よりも好きな私は、ふとした気まぐれで自分の持っている小説を読み返し、食べるシーンがあるものとないものを分けてみようと思い立った。そして3ヵ月かけて本棚にあった約280冊の本をチェックした。
 すると驚いたことに食べるシーンがない小説は6冊しかなく、そのどれもが同じ作者だった。小学校のころに大好きだった、スピード感溢れるエンタメ小説で人気の福原甚太だった。私は福原の電話番号をなんとか調べ上げ、こちらから電話してみることにした。
 いきなり本人が出たため、単刀直入に用件を切り出すと、明らかに相手の声が動揺し始めた。
「僕の書く小説に食べるシーンがないって? まいったな。それを指摘したのはあなたが初めてです。名前は何と言うんです?」
「横山よう子です。中学1年生です」
「中学生でその観察眼はすごいな。で、どうするつもりですか? このことをマスコミに発表するからと言って私を脅迫するつもりですか?」
 よう子は脅迫などという物騒な言葉が出てきたことに驚いた。全くそんなことは考えておらず、ただそのことを指摘して理由を聞きたかっただけだったからだ。
「脅迫だなんてそんな…。私はただ、なんで書かないのかなーと思っただけです」
 相手はほっとしたようはため息を吐き、そして言った。
「なんだよ、脅迫じゃないのかよ。驚かさないでくれよ。なんで食べるシーンを書かないかって? そんなの、食べることが嫌いだからに決まってるじゃないか。俺は人間の行動の中で一番卑しいことは食べることだと思っている。俺は生涯、一度たりとも食べることをいいことだと思ったことがないし興味がない。今でもなるべく食べたくないから、サプリを飲むことしかしていないんだ」
「わかりました」よう子は電話を切り、福原甚太の小説6冊とマッチを持って庭に出た。それらの小説に火をつけると、よく燃えた。そして、よう子は泣いた。食べることがこんなに好きな私が、食べることがあんなに嫌いな男の小説を読んでいたとは。恥ずかしくて仕方なかった。このまま火の中に飛び込んでしまいたいほどだった。よう子は勇気を出して指摘して本当に良かったと思った。これからのこの小説家の出した本は、タイトルすら見ないようにしよう。福原甚太の名前を見ただけでも食べ物がまずくなってしまうから。