膝林負けるとクの6乗

 今だから言えるが、中学の頃に奇妙な遊びをしたことがある。ジャンケンで負けた奴がみんなの決めた名前に改名しなくてはならないという、単純明快でありながら至極危険なものだった。最初は小西真彦というサッカー部の奴が負けた。俺たちは小西の新しい名前を、ちっぽけな脳をフル回転させながら考えた。
 誰かが言った。「小西は膝をケガしたことがあるから、膝という文字は入れてあげよう」
 誰かが言った。「小西は2組の林さんのことが好きだから、林という文字は入れてあげよう」
 誰かが言った。「小西の家は金持ちで、いわゆる勝ち組だから、負け組の気持ちもわかるように、負けるという文字は入れてあげよう」
 このようなめちゃくちゃな論理が展開され、なぜか小西もそれを承諾した。小西の家は確かに金持ちだったが、その時はそれを理由にいじめられることを防御していたのか、「金持ちなのがイヤだ」と庶民の味方的な発言をしていたので、「負ける」というファーストネームはえらい賛同していたのを覚えている。 
 続いてジャンケンに負けたのは、軽音楽部の沢尻弥太郎だった。みんなは小西の名前を考えるのにも疲れてしまっていたから、楽な名前にしようと言い出した。確か、その日の数学でルートの授業があったからだと思う。誰かがこう言った。「なんとかの2乗とかがいいんじゃねえ?」
 誰かが言った。「2乗だと少なくて面白くないだろ。6とかのほうが景気がいいんじゃねえか?」
 確かここで沢尻は鼻水を垂らしながら、「そうだな。2より6のほうが多くていいな」と言っていたのを思い出す。中学生の頃はみんなアホだったのだ。
 そして問題なのは、何の6乗にするかということだった。みんなすでにこの話題に飽きていたし、早く家に帰りたかった。そこで俺が提案したのが「ク」だった。
 俺がそこでなぜ「ク」を提案したのかわからない。一文字という、奇をてらった提案をすることでウケをとりたかったのだろう。そんな思惑通り、みんなは大笑いした。「クの6乗っていいんじゃねえ?」「カッコいいよ、それ」という声が飛ぶ中、帰りの支度をして家に帰った。
 翌日は確か土曜日だった。午前中の授業が終わると、俺たちは小西と沢尻を連れて市役所に出かけた。みんな初めて市役所に行けることに興奮していた。小西は「これから名前が変わるのかー、ドキドキするなー」と能天気なことを言ってたし、沢尻は「緊張して喉が渇いた」と的外れな反応を示していた。
 俺たちは当然、市役所からの反対に合った。両親の承諾がないと改名を受け付けないと言うのだ。俺たちは精一杯の迫力を演出し、職員にガンを飛ばした。両親の承諾はすでに得てるから、ここで受け付けないと暴れてやるぞと脅した。職員は全然ビビッている様子はなかったが、今考えると、この職員は相当怠慢なタイプの公務員だったのだろうと思う。突然面倒くさそうな顔になり、「じゃあいいですよ」と言い、書類を差し出してきた。小西と沢尻はドキドキしながら、それぞれ新しい名前の欄に「膝林負ける」と「クの6乗」と書いた。職員は確かにそれを受理し、翌日からクラスの出席簿にもそう書かれるようになった。それから卒業までのことはよく覚えていない。
 こんなことを思い出したのも、何十年ぶりかに同窓会の誘いが来たからである。俺はドキドキしながら、出席者の欄に目を移した。すると、そこには「膝林負ける」と「クの6乗」と載っていた。
 彼らはあの改名以来、どんな日々を過ごしてきたのだろうか? 親がけっこう気に入って「そのままでいなさいよ」と言ったのだろうか? 親の反対を押し切って「俺たちはこの名前のほうがいいんだ!」と言ったのだろうか? 会社の歓迎会などでも「クの6乗です!」と元気よく自己紹介するのだろうか? その辺を同窓会で会ったときにでも詳しく聞いてみようと思う。