お弁当屋さんのブルース

 1995年5月、若者からの絶大的な人気を誇っていたブルースパンクバンド、タイガータイフーンが突如解散を発表した。タイガータイフーンは最新アルバムの全世界リリースも決定し、まさにこれからという矢先だったから、解散の理由を人々は知りたがった。解散後メンバーはしばらく沈黙を続けていたが、ある日リーダーであるカツラマサタカがNHKのインタビューでその理由を明かした。
「お弁当屋をやることにしたんです」
 カツラが語ったところによると、ある時期からカツラは音楽をやることがどうしようもなく虚しく感じるようになったという。曲を作っていても、ステージでシャウトしていても、その行為が一体どんな意味があるのかわからなくなるのだった。そんなある日、カツラは76歳になるお婆ちゃんに相談した。僕はこの先どうすればいいだろうか、と。お婆ちゃんは即答した。「お弁当屋さんになりなさい」カツラは別に料理が上手いわけでも何でもなく、自炊すらほとんどしたことがなく、なぜお婆ちゃんがそう言ったのかわからない。もしかしたらお婆ちゃんが少々ボケてしまっていたのかもしれない。だが、カツラはその言葉を聞いてビリビリと体が震えるのを止められなかった。弁当屋か、新しい挑戦じゃないか。これこそがパンクじゃないか。カツラは本屋に行き、お弁当のレシピ本を買いあさった。最初は煮物や汁物が全然うまく行かずに苦労したが、やがてそれも少しずつ形になっていった。カツラは音楽の時には感じたことのない喜びを弁当作りで感じるようになった。初めて自分の曲を作り始めたのを超えるほどの感動があった。そしてカツラはメンバーのウマザワ(B)とシカザワ(Dr)にバンドを解散したい旨を打ち明けた。ウマザワとシカザワは、お前が言うことなら仕方ないとOKした。こうしてカツラの弁当屋九死に一生」が練馬にオープンし、連日連夜ファンたちが訪れ、弁当は飛ぶように売れた。顧客はバンドのファンばかりだったが、カツラは思ったよりも簡単に成功したと思った。気をよくしたカツラはお婆ちゃんに自慢しようと思い、自分の作った弁当を食べさせてみた。すると、お婆ちゃんは言った。
「こんな弁当で金をとってはいけない」
 カツラはその一言を聞いて悔し涙が止まらなかった。
「これでもけっこう頑張ったんだよ。その煮物は3時間かけて煮込んだんだ」
 それでもお婆ちゃんは納得しなかった。
「いくら頑張っても、ダメなものはダメだ。私ならこんな弁当には金を出さない」
そしてカツラはお婆ちゃんに認められるように、何年もかけて味を改良しはじめた。すると、客層が変わり始めた。タイガータイフーンの音楽など全く聴いたことのないような人たちが弁当を買いに来るようになった。そのころには1995年に若者だった者は大人になり、好きなミュージシャンの動向を追いかけるような年齢ではなくなっていた。こうして15年が経った今、カツラはテレビに弁当評論家としてよく出演しているが、誰も彼がブルースパンクをやっていたことなどほとんど覚えていない。カツラは取材などでよくこう答える。「自分にもしお婆ちゃんがいなかったら、あのまま2,3年ほどバンドをやって解散して、世間からあっというまに忘れられていただろう。今はこうして弁当作りという仕事に携わることができて本当に幸せに思っている。だからみんなに言いたいのは、僕たちよりも何十年も長く生きている人たちの話に耳をかたむけることを決して怠ってはならないということなんだ」