空一面の同級生

「今回は大漁だったな」
「ああ」
「嫁に会うのが楽しみだな」
「俺は娘に会うのが楽しみだ。今日は天気がええから、どこかへドライブでも連れてってやろうかなって…うわっ、何だあれ!」
 漁師である伊作と森蔵の目の先にある空には、大きな女の子の顔が浮いていた。2人は長年海に出ているが、このような現象は見たことがない。直径はおそらく30kmくらいあるだろう。女の子の顔が空一面を覆い、顔の下はすっかりと陰になってしまっていた。
「なんなんだあれ!」 
 伊作と森蔵が声をあげると、他の漁師たちが甲板へと出てきた。
「なんだあれ。女の子じゃねえか!」
「あーあ、あれじゃ。魚がみんな逃げちゃうな」
「俺は娘とドライブに行こうと思ってたんだよ。それなのにあれじゃ全然楽しくねえよ」
 不思議なことに、女の子の顔が浮かんでいる地点の下以外は全て晴れ渡っていた。女の子の顔が日光を遮ってしまっているのだ。
「おや?」若い衆の一人である大室が何かに気付いたようだった。「あの女の子、隣町の尾島鏡花じゃねえか」
「なんだおまえ、知ってるのか?」
「ああ、知ってるんです。俺は中学生まで隣町に住んでたから。俺とは同級生なんだけどさ、あの子は目立ちたがり屋で有名でさ。勝手に自分のポスター作って町中にベタベタと貼っといたくらいなんですよ」
「じゃあおまえ、すぐにその女の子のところに行って、空に浮かぶのやめてもらえ!」
「このままだと、明日の漁に差し障りがあるよ!」
「そうですな。ちょっくら岸に着いたら隣町に行ってきますわ」

 大室が気付いたとおり、空に浮かぶ女の子の正体は尾島鏡花だった。鏡花は5年かけてこのスーパー映写機を完成させ、空に自分の顔を投影させることに成功した。鏡花は小さい頃からアイドルになりたくて、いくつものオーディションを受けてきたが夢は叶わなかった。その後も喫茶店のウエイトレスをやったり、上京して原宿を歩き回ったりしたが、スカウトされることもなかった。鏡花は既に20代に突入しており、早く有名にならないと自分の賞味期限が切れてしまうことがわかっていた。そこで思いついたのがこの映写機だった。巨大な映写機で空に自分の顔を映せば、少なくともその下に住む何千人の人は自分の顔を見ることになる。そして、海外の人工衛星もそれを発見し、ニュースなどで取り上げるだろう。日本のちっぽけな芸能界をスキップして、いきなり世界デビューすることができるのだ。
 鏡花の思惑は見事に当たった。この日はじめて自分の顔を空一面に投影すると、悪魔が降ってきたのではないかと思った人々がパニックに陥った。当たり前だ。これまで何十年も空には雲とか太陽とか飛行機とかしか浮かんでいるのを見なかったのに、いきなり女の子の顔が浮かんでいるのだ。見にくい場所によっては鏡花の顔の全貌はつかめずに、鼻の穴だけが見える場所もあった。鏡花はそういった事態も想定していたが、自分の鼻の穴だけを眺められている場所があったと知ったなら気絶したことだろう。
 こうして尾島家には苦情の電話や海外からの取材が殺到した。鏡花の両親は鏡花の部屋の扉を叩き、今すぐやめるように言ったが、鏡花はドアを開けようとはしなかった。せっかく5年もかけて映写機を作ったのだ。これしきのことであきらめてたまるものか。映写機は窓に取り付けており、部屋にいる自分の顔を映し出せる仕組みになっている。鏡花はここぞとばかりに自分のキメ顔を作り続けた。自分は右からのショットに自信があったから、右側を中心に映し続けた。
 全開に開け放たれた窓からは、怒号や罵声が飛び交っていた。
「恥を知れ!」「この町を汚すな!」「目立ちたがりもいい加減にしろ!」
 そんな中に混じって、どこか聞き覚えのある声が鏡花の耳に飛び込んできた。
「尾島! 俺だ! 隣町に転校した大室だ!」
 鏡花はびっくりして窓から顔を出し、その下に目をやった。すると、中学生の頃に好きだった大室哲也がそこにいた。大室は漁師になったとは聞いていたが、こんなに筋肉がたくましく成長しているとは思わなかった。中学の頃はもう少し線が細いイメージだったのに。
「大室くん、久しぶりやね!」
「おまえ、変なことするのはもうやめろ! 俺の漁師仲間が困ってるんだよ。降りてきて話しあおう!」
「嫌よ! 私はアイドルになりたいの!」
「アイドルなんて、そんなにいいもんじゃないよ! それより俺と結婚しないか?」
「え? な、何言ってるの?」
 大室は本気だった。鏡花が大室のことを好きだったのと同じように、中学の頃は大室も鏡花に想いを寄せていたのだ。鏡花は大室からの思いも寄らない告白を受け、明らかに動揺していた。
「本当に結婚してくれるの?」
「ああ、してやんよ」
 鏡花は考えた。もしここで大室と結婚することができたなら、アイドルになる必要もなくなるかもしれない。そして、年齢を気にすることなく、大室夫人としての人生を全うすることができるのだ。鏡花は決意を固め、映写機のスイッチを切った。今まで鏡花の顔で遮られていた日光が雪崩のように差し込み、人々は目を細めた。
「わかった! 私アイドルを目指すのやめる!」
 鏡花の言葉を聞いた聴衆から歓声があがった。この模様を生放送していた海外メディアは、「空に浮かぶ美少女、幼馴染との結婚を選択!」と報じた。鏡花は大室鏡花となり、漁師の旦那の生活を支えた。子供は5人できた。鏡花は結婚後もたまに、昔の目立ちたがり屋精神が暴れだすため、時に映写機を作動させて空に自分の顔を映し出す時がある。しかし、この界隈の人々は鏡花のそのような性癖を知り尽くしていたから、もう空に鏡花の顔が浮かび上がっても何も苦情を言うものはなかった。というのも、大室と鏡花のこの騒動は映画化され、町を訪れる人も増え、住民はその恩恵を授かっていたからだった。観光客は気まぐれに浮かび上がる鏡花の顔を見ると、まるでオーロラを見たかのように熱狂した。住民たちも「あら、今日も鏡花ちゃん空に浮かんどるね」とニコニコと笑うくらいだった。