少なからず、チコ。

 初めてチコに会ったのは、僕が大人になって2日目のことだった。チコはこれまで感じたことのないようないい匂いがして、僕は野に咲く花じゃないかと思ったくらいだった。チコが必ず通る道が1ヵ所あり、僕は一日中そこでチコのことを待ち続けた。
 だいたい、僕らの人生なんてどうしようもなく短いわけだし、女性のように子供を生むという使命があるわけでもない。たいていの男たちはなぜ自分がこの世に生まれたのかもわからずに去っていく。僕もチコに会うまではそうだったからよくわかる。
 僕は朝起きて、水を飲んで身体を潤わせると、まずチコの通り道に出かける。チコは夜型だから朝ここで出会えることは少ないが、もし会えたら儲けものだ。僕は1ヵ所でじっとしているのが苦ではないため、何時間でも待っていられる。たとえ日中に会えなかったとしても、夜にはチコは必ず外へ出る。おそらく好きな男にでも会いに行くのかもしれないが、そういったことは僕は考えない。だいいち、住む世界が違いすぎるのだ。あまりに多くのものを求めすぎても、それは分不相応ってものだ。チコに出会えたことだけでも感謝しなくては。
 僕がなぜチコの名前を知っているのかというと、誰かがそう呼んでいるのを聞いたからだ。ふつう僕らは耳がいいというイメージがないかもしれないけど、音階に対してはうるさい。他の言葉、たとえばアイウエオなどのような聞き取りにくい言葉は完全に右から左へと流れていってしまうが、タ行とカ行に対しては特に敏感で、チコという名前は一度聞いたら忘れるはずがない。だから、チコ、チコ、何度でも僕は君の名前を呼ぶよ。
 あまり僕らのことを知らない人が僕のこの恋の話を聞いたなら、いっぱい触ることができてうらやましいねなどと下世話な笑みを浮かべるかもしれない。ただ、それは無知がなせる的外れな言動であって、僕ら男は基本的に生物との接触を好まない。接触しないと生きていけないのは女のほうだ。男は木の汁などをのんびりと味わっているほうが落ち着くのだ。だから、僕が昔関係を持った女性がチコに近づき、ペタペタと触りまくっているのを見ると、複雑な気持ちになる。チコを触った直後の彼女の手を握らせてもらいたくなるほどだ。だが、僕らの種では、コトが終わると男は用なしだ。僕が彼女に近づいても、鬱陶しがられて拒否されるのがオチであろう。
 チコはきっと僕の存在すら知らない。僕の命はしょせんあと数日だ。僕らは長く生きても、2週間ほどしか生きないのだ。僕は残された時間をチコのことについて考えることに費やしたいと思う。そして、次に生まれ変われるとしたら、絶対に別の生き物になりたい。猫と蚊という、悲劇的な関係はもうごめんだ。