ブックオフ中毒患者

「まーた並んでるよ。この行列なんとかなんないのかね」
 通行人同士の会話が綿貫敏郎の耳に入る。綿貫はその行列の前から3番目にいた。振り返ると、約200m先のコーナーを曲がってさらにその先まで行列は伸びている。開店の10時まであと2時間もあるのに、この行列の長さは異常だった。
 綿貫を含め、これらの行列に並んでいる人々はマスコミが言うところのブックオフ中毒にかかってしまっているのだ。各病院にも1日平均3,4人の割合でブックオフ中毒患者が運ばれてくるという。彼らは一様に立ち読みをする仕草を繰り返し、「もっと、もっと本を…」とつぶやく。
 日本人はいつからこんなに本好きになったのだろう? いや、正確にはブックオフ好きになったのだろう? マスコミが言うには、ことの始まりは1987年5月に発売された小谷修二の小説『ハウスマヌカンたちの共同生活』だとされている。この小説は発売当初は全く売れず、ブックオフの105円に長年放置されてきた。しかし昨年のある日、インターネット上での「何度も読み返したくなる本を教えてください」という人気スレッドの中に誰かがこの小説の名前を出した。すると、読書好きの人間たちはこの見慣れない小説が気になり、ブックオフの105円コーナーに殺到し、買いあさった。すると、実はこの小説はものすごく面白かったことがわかり、一気に遅れてきた爆発的ブームが起きたというわけだ。この小説はふだん本を読まない人のことも虜にし、人々はまるで覚醒したかのように読書好きになった。この小説がどのように人々の感覚に作用したのかわからないが、この小説の再評価をきっかけにしてゲームやテレビは捨てられ、電車の中で本を読んでいない人は見られないようになった。
 やがて『ハウスマヌカンたちの共同生活』自体は忘れ去られてしまったが、人々は水や空気を求めるかのように活字を渇望した。そして彼らが目をつけたのがブックオフだった。ブックオフでは漫画も小説も置いてあり立ち読みも自由である。そして105円コーナーの中にも掘り出し物が多い。それなら普通の本屋や図書館でもいいではないかという専門家の意見もあったが、それは違う。時代が不景気だから、普通の本屋に行く余裕がなく、図書館には漫画があまり置いていない。ブックオフはまさにお金のない活字中毒者にとって天国だったのだ。
 中毒患者が増え始めた頃、ブックオフはこの傾向を歓迎した。しかし事態はそれほど甘いものではなく、まるで満員電車のように店内に人が溢れる状況になっていたため、さすがにブックオフ本社も対策を検討した。整理券を配り、気持ちよく立ち読みしてもらう。しかし、それでも行列はなくならないため、手際の悪い店舗では朝から並んでいたのにもかかわらず夜11時の閉店の時間になっても入れないというケースもあった。
 子供たちの親も最初は歓迎していた。子供たちが読書好きになることのどこが悪いの?と彼らは主張した。しかし、朝から晩まで子供たちがブックオフに入り浸り、家に帰ってもブツブツ言いながらエア立ち読みしている姿を見ていると、さすがに危機感を抱いた。PTAでは「ブックオフに行くことを控え、他の遊びをしよう。たまにはゲームをしたり、テレビを観たりしよう」というスローガンを打ち出したが無駄だった。子供たちはすでにブックオフなしでは生きていけない体になった。
 子供たちだけではない。大人もそうだ。社員たちは仕事中にも禁断症状を起こし病院に運ばれた。しかし、彼らの行くべき場所は病院ではなくブックオフなのだ。治療法としては近くのブックオフに搬送することが絶対条件だった。大手企業は仕事の効率が悪くなるため、支社の近くにブックオフを誘致して建設させた。ある会社では社内にブックオフを作るところもあったくらいだ。企業は勤務中の好きな時間にブックオフに行っていいという規則を作り出した。すると、誰も仕事をするものはいなくなった。
 ブックオフはいまや、1駅ごとに3店舗のペースで開店している。それでもまだまだ中毒者たちを収容するには足りない。綿貫も今こうして並んでいるが、あと2時間も耐えられるのだろうかと自信がなくなる。周りに並んでいる人間を見ても全員目が血走っており、それぞれがエア立ち読みか、エアディグ(掘り出し物探し)をしている。みんな口々に「ブックオフブックオフ」とつぶやいている。2時間後の開店時には互いを押しのけて血が流れるほどの争いが起こるだろう。綿貫の前に並んでいたスーツの若者は禁断症状がピークに達したようで、倒れてしまったままもう動かない。