西暦からの自由

 西暦と俺の対決。それが庄田優斗の人生の永遠のテーマだった。
 今年でおそらく40代半ばになる庄田は15年ほど前から日付がわからない暮らしをしている。庄田の両親は有名な資産家で、息子が18歳くらいの頃から自由に金を使うことができるようにしていた。庄田はこのような恵まれた環境を大いに利用し、この雄大なプロジェクトに挑むことを決めた。これは1人の人間が人生を懸けて挑む壮大な実験だった。
 庄田は生まれてから一度たりとも働いたことがない。金がありあまるほどあるのに働く必要がどこにあろう? 庄田は親が買ってくれたマンションに住み、一日中マンガを読んだりゲームをしながらボーッと過ごす。家の外に出ることはほとんどない。計画が台無しにされる可能性があるからだ。
 庄田の計画とは、西暦というくだらない束縛から自由になることで、これはほぼ成功を収めていた。庄田の部屋には1973年から1985年までの年代がバラバラなカレンダーが置いてあり、5月だったり、11月だったり、全く違う月が開かれている。庄田はこれらのカレンダーを古本屋で大量に買い占めてきて、毎日ランダムにめくっては捨てている。
 庄田は新聞もとっていないし、インターネットも見ないので、今日が何日なのかを知る方法はほとんどない。だがしかし、たまにテレビをつけてしまうとアナウンサーが日付をしゃべってしまうことがあって、そういう時は決まってテレビ局に抗議の電話を入れる。
「ネタバレさせやがって、どういうつもりだ! 俺の唯一の楽しみを奪うのか!」
 庄田は日付がわかることをこうしてネタバレと呼んでいる。ごく気が向いたときに、今日は何日かを予想するのが楽しくて仕方ないからだ。たとえば、昨日予想した日付は「2016年5月6日」だったが、実際は「2012年10月29日」だった。こうして大きく外れると、庄田は非常に満足した気持ちになる。自分は西暦から約4年も自由でいられているのだ。この外れ方が大きければ大きいほど、西暦から自由になった気がして満足するのだ。次の予測は半年後くらいに行おう。それまでネタバレされないように、テレビをつける時は気をつけないといけない。