睡眠で脳とけちゃう

 歩く百科事典と呼ばれた岸原は、知識を詰め込むのが趣味で、寝る間を惜しんではあらゆる分野の知識を吸収した。そのジャンルは科学・文学・歴史・エンタメ・スポーツ・哲学・料理などなど多岐に渡る。テレビのワイドショーからコメントを求められることも多かったし、政治家のアドバイザーに就くこともあった。とにかく彼は、この膨大な知識の泉さえあれば、食べていくことに苦労はしなかった。
 そんな激務がたたったのか、岸原はある日、出張先のホテルで倒れた。原因不明の発熱と嘔吐が続き、医者からは過労と診断された。医者が岸原のカルテを見てみると、そこには一日の平均睡眠時間が5分と書いてあった。医者は岸原の両親に、このままだと大病をするのも時間の問題だろうと伝えた。息子がワーカホリックなのは昔から知っていたが、ここまでとは知らなかった両親は息子に向かって厳重注意をした。
「もっと寝なさい。そうしないと、私たちはおまえと勘当するぞ」
 親からここまで命令されたことがなかった岸原はこの言葉に従った。もともと岸原の家は放任主義で、好き勝手やらせていたら知識オタクになったのだ。この何十年ぶりとも言える親からの命令は岸原には効いた。岸原は退院して以来、とにかく寝るようにした。知識を詰め込む時間がなくなるのは惜しかったが、とにかくこれは親の命令だからだ。
 根が素直だった岸原は5分の睡眠時間を5時間に増やした。毎晩足を踏み入れる夢の世界は思いのほか心地よく、体調も格段に回復していった。すべては息子を想う親のおかげだった。
 しかし、岸原は突然あることに気づいてしまった。これまで知識の宝庫と言われていた自分の頭が錆び付いてしまい、いろいろ思い出そうとしても思い出せないのだった。仕事先からコメントを求められても答えられなくなり、懇意にしていた政治家からも見放された。岸原は、たくさん寝すぎたことによって脳みそが溶けてしまったのだと悟った。
 収入は全盛期の50分の1ほどになり、困窮を強いられるようになった岸原は、再び睡眠時間を5分に戻したが、溶けてしまった脳みそや失われた知識は元に戻らなかった。
 岸原は自分に指図した親を恨むあまりに、親を訴えた。その訴状名は「睡眠の強制による脳内知的財産の損失」というものだった。息子に訴えられたことを知った親は、裁判で泣きながら「息子のためを思ってやったことなのに」と訴えた。裁判長は両親の立場を理解し、無罪とした。しかし、これに納得しなかった岸原は再審を要求したが結局負けてしまった。
 裁判で惨敗した岸原は今、本を執筆しているという。そのタイトルは「息子に睡眠を強制するな!〜溶けた脳は元に戻らない〜」と言い、本人曰くかなりの力作とのことだが、どこの出版社も興味を示していない。