四行しか書かなかった男

 私は、文学研究者として後世のためにぜひとも彼のことを記しておかなくてはならない。みなさんはあの永津淳平を覚えているだろうか。
 永津淳平は、永津静雄と久保政子という2人の天才小説家の間に生まれたひとり息子である。両親が共に文学史を変えるほどの作品を次々と生み出した怪物だっただけに、世間はこのサラブレッドが一体どのようなすごい本を出すのかと思い、期待をした。永津静雄と久保政子は容姿も端麗で、俳優としても活躍したほどであり、息子の淳平も小さい頃から凛々しい顔立ちで注目を集めていた。まるで天皇家の跡継ぎのように小学校入学や卒業がマスコミで報じられたものだ。大学も両親と同じ東京大学へと進み、両親の蔵書コレクションを全て読破したとのことだった。満を持して大学を卒業した後、淳平は「親からいただいたこの才能を活かして作家になります」と宣言し、国民たちは熱狂した。
 しかし、結論から言うと、淳平は生涯たったの四行しか書き残すことなく、2010年3月にこの世を去った。淳平が書き残した四行とは以下のものである。

 連続あくび記録に挑戦したが、56回で挫折した。
(1982年6月23日)

 足の匂いが臭すぎて両親に電話できない。
(1990年7月3日)

 「おい、馬」「なんですか、馬」こういう書き出しで何か書こうかな。
(2010年1月13日)

 足の匂いがやっぱりチーズみたいだ。
(2010年1月15日)

 淳平がこの世を去った後に、この四行の未発表原稿が明らかにされ、世間は大騒ぎになった。淳平は大学卒業後はメディアに出ることが全くなくなり、サリンジャーのように人目を避けて暮らし、新刊も一向に発売されないため、隠居して断筆したものとばかり思われていたからだ。この四行についての解釈本が次々と発売され、インテリを自負する男たちは居酒屋で独自の持論を展開した。特に問題とされたのは、連続あくびとは一体何なのか。足の匂いについて書かれた箇所が2つもあるということは、相当悩んでいたのではないか。二行目から三行目に至るまでに20年ものブランクがあるが、その間に何があったのか。三行目の馬同士の会話は何を示唆しているのか。三行目と四行目の間はたったの2日しか空いていないため、これまでになく高いモチベーションだったに違いないということだった。
 また、この四行だけで前衛的な小説が成り立っていると主張する専門家もいて、「さすがは天才の間に生まれた男は違う」と絶賛した。この専門家がプロデューサーとなり、映画化も決定したが、あまりに意味不明かつ奇怪なストーリーだったため、あまりヒットはしなかった。
 淳平の逝去後、およそ1年の間はこういった賛否両論の騒動が巻き起こったものだったが、やがて人々は記憶を消されたかのように忘れてしまった。要は、この四行は人々の人生においては全くどうでもいいことだったのだ。
 今では当時にベストセラーになった解釈本はAmazonで1円で売られており、誰も見向きもしない。ただ、私は文学者として、やはりこの永津淳平という男が気になって仕方がないのだ。小説家になりたいと決意するほどのモチベーションがある人間が、四行しか書かずに気が済んだのか。淳平は80歳まで生きて特に大きな病気をしたこともないと言われている。しかも、淳平は親の莫大な印税収入で暮らしていたため、一度も働いたことがないという。そんなに時間が有り余っていながら、彼はどんな人生を過ごしていたのか。この男について忘れ去ることはあまりに惜しいことではないか。私のこういった論文が人々の忘却のスピードを遅くすることができるとはとても思えないが、微力ながら書かずにはいられなかったことをここに記させていただきたい。