くずれそうな建物

 雨があがり、虹が空にかかる。三森幸三はそれを機にレモンティーを淹れることを決める。マグカップを取り出すと天井からパラパラと埃や砂が落ちてくる。幸三は気にせずに、砂埃入りのレモンティーを飲む。
 幸三がこの建物に暮らすようになって2年が過ぎた。幸三は2年前、スリルが欲しくて万引きを繰り返し、何度も警察の世話になっていた。そのあまりに自暴自棄な様子を見た警察官が幸三にこの建物の存在を教えた。幸三が現在住む建物は、築80年という恐ろしく古いもので、しかも不良建築で傾いているということだった。かつて住んでいた住人たちは避難したが、一向に改築させる気配はなかった。この建物の持ち主だった人間が行方不明になってしまったからだ。もはや建物は自然崩壊するのを待つのみとなった。
 警察官は幸三がそんなにスリルを求めて生きるのであれば、このいつ崩落するかもしれない建物の中で住めばいいのではないかと提案した。幸三は建物の様子を見てすぐにOKした。幸三はそこに寝泊りすることで、今この瞬間に建物が崩れてしまうかもしれないという最高のスリルとともに過ごすことができた。外出はほとんどしなかった。
 しかし、幸三の感じていたスリルとは裏腹に建物は一向に崩れる気配はない。幸三が住み始めた頃は、3日ももたないだろうと言われていたものが、もう2年も経つのだ。幸三はいつからか、早く建物に崩れてくれと願うようになった。時には柱を思い切り蹴飛ばし、無理やり崩壊に導こうとすることもあったが、パラパラと埃が落ちてくるくらいで、思いのほか建物は頑丈だった。
 幸三が最近思うのは、この建物をあの警察官が用意したのは自分を更正させるためではなかったのだろうと言うことだ。確かに幸三はこの2年間、一切万引きをしていない。しかし、幸三は知っているのだ。自分がこの建物の外ではもう暮らせないということを。このスリルなしでは息をすることもできないということを。