胃蚊垂と絵下垂

 大阪でひとりの少女が、ある言い間違いを元にいじめられていた。
「おまえって体型が胃下垂だよな」 
「え? 私、胃の中に蚊なんていないよ」
「は? もしかしたらおまえ、胃下垂って蚊のことだと思ってるんじゃないだろうな」
「胃に蚊が入ってしまうから胃蚊垂でしょ」
「ぐははは」「ぐははは」

 それと同じ頃、東京ではある少年が、あるある言い間違いを元にいじめられていた。
「この絵ってさ、けっこう絵下垂だよね。ほら、下のほうに絵の具がたまっているというか」
「は? 今なんて言ったの? えかすい?」
「よく言うでしょ。絵下垂。あれって、こういう状態のことを言うんだよね」
「それを言うならおまえ、胃下垂だろ」
「そうだよ、絵下垂だけど。何かおかしい?」
「ぐははは」「ぐははは」

 この一見冗談にも聞こえる言い間違いをしていた2人が、その14年後、福岡で出会い結婚した。2人はその頃、普通に「胃下垂」をいう言葉の用法を克服して立派に使いこなしていたが、その言葉を口に出すたびに、昔の自分の間違いを思い出し恥ずかしい気持ちになるのだ。2人はともにシャイで、自分の恥ずかしい過去について打ち明けることは少なかったから、この奇妙で可笑しいニアミスについて知ることは残念ながらなかった。