トゥナイト、キスがまぶしくて

 湾岸通り沿いにレクサスを走らせていると、ラジオでサザンがかかる。陽子はサザンが好きだった。サザンの歌を聴いていると、図書館で働いていた20代の頃を思い出す。あの頃は恋とか愛とかがどういうものなのか全然わかっていなかった。
 陽子が渋谷に到着したとき、時刻は9時になろうとしていた。今日はレクサスを路上に停め、目的地へと颯爽と歩く。白いコートを風になびかせ、若者たちの視線を身体のあちこちに感じながら辿り着いた場所は「リロロ」という名前のカフェだった。今夜会う相手はすでにそこにいた。陽子が近づくと、その女が顔を上げる。
「待った?」
「ううん、5分くらい」
 陽子は座り、ビールを注文する。
「ここのビール、味が苦いのよね」女が説明する。
「ビールは苦いものよ」陽子がちゃかす。女が笑う。
 陽子は女に名前を聞く。「そろそろ教えてくれてもいいでしょうが」
「まだダメよ。あなたは私を信用していないから」
「これでもそう思うの?」陽子は不意に女の唇を奪う。
「今夜のキスはやけに熱いのね。他の誰かと練習でもしたの?」
「教えない。あなたが名前を教えたら、いくらでも教えてあげるわ」
 女が低い声でブブブと笑う。マスターが陽子の分のビールを運んでくる。2人が乾杯する。
 マスターは週に一度この店にやってくる2人はどういう関係なのだろうかと考える。2人は水曜か木曜にこうして落ち合い、人目をはばからずに唇を貪りあう。正直迷惑な話なのだが、いろいろと景気よく注文してくれるので何も言えない。
 お互いの名前を知らないということは、いま流行りのインターネットか何かで知り合ったのか。2人の左手の薬指には指輪が光っているので、それぞれ家庭は持っているようだが、お互いの旦那さんはこの逢瀬について何も知らないだろう。爪楊枝の瓶を入れ替えるふりをして、再び2人に目をやる。2人はまたしても情熱的なキスを交わしている。それにしても今夜のキスはやけにまぶしい。