子供の頃にいばってたあの人たちはどこに行ってしまったのだろう

 私が子供の頃、町で一番目立っているお兄さんたち3人組がいた。名前は桜井、列川、見城と言い、それぞれサク、レツ、ケンと呼ばれていた。3人揃うと「炸裂拳」という通称で呼ばれていたこのお兄さんたちは、いつも一緒につるみ、相手が大人だろうと子供だろうと構わずに脅し続けた。
 私の住んでいる町は人口も少なく、犯罪も少ないのが伝統だった。そのためか、警察の人たちにも力がなく、この炸裂拳の前に出るとヘビににらまれたカエルだった。私は如才ない子供だったから、この炸裂拳に嫌われない術を必死に考えて毎日を過ごした。やがてサクはチョコレート、レツが漫画、ケンがプラモデルが大好きだということがわかり、私は親から小遣いやお年玉をもらうと、これを全額はたいて彼らの気に入りそうなものを買い、プレゼントした。炸裂拳は私のことを「最高の年貢王」と呼び、可愛がってくれた。私はおかげで、炸裂拳から意地悪をされた記憶が一切ない。
 炸裂拳の権力と怖さは私の親も知っていたから、何も言わなかった。親はもともと波風を立てることが嫌いな性格なので、私がひとり必死にプレゼント買いに奔走しているのも知っており、「探し物は見つかったのか?」と優しく聞いてきたりした。
 私は小学校に入学してから、高校を卒業するまで、12年間彼らにプレゼントを渡し続けた。プラモデルやチョコレートの新製品が発売されると、勉強もせずにそれらのカタログを開いて徹夜したし、東京に面白い漫画が売っていると聞くと、片道7時間かけて買いに行った。
 そう、高校を卒業するまで、私の人生は炸裂拳が全てだったのだ。他に思い出は何もない。
 そんな私がふとした出来心で受けた大学に受かってしまい、育った町を出ることになった。私は炸裂拳から離れることに対し、不安を覚えた。他の者たちは「ミカコは炸裂拳の呪縛から離れることができていいね」と言っていたが、私はその逆だった。だって、今まで10年以上も炸裂拳のご機嫌を伺うことばかり考えてきた私がどう生きればいい? カタログを見て悩んでいた時間を何に使えばいいのだ?
 私は大学の近くの埼玉県熊谷市に住み始めた。最初の1年間は怖くて外に出ることもできなかった。炸裂拳の強大な存在感が私を守ってくれていたことに気づいた。しかし、それから2年が過ぎ、3年が過ぎていくと、次第に炸裂拳なしの生活にも慣れるようになった。私はもしかして炸裂拳なしでも生きていけるのではないかと思い始めていた頃、何の因果か、卒業後は地元での就職が決まった。また彼らのご機嫌を伺う日々が始まるのかと思うと、ドキドキとワクワクが入り混じった妙な気分だった。
 そして卒業後、熊谷みやげをどっさり持って実家に帰ると、町は以前とは変わっていた。炸裂拳の姿はどこにも見えず、人々は活き活きと羽根を伸ばしているように見えた。私は母に聞いた。「炸裂拳の3人はどこへ行ってしまったの?」
 母は答える。「知らないわ。あなたが埼玉に行ってしばらくした後にいなくなったのよ。3人いっぺんにじゃないけどね。最初はレツがいなくなって、その半年後にサクがいなくなって。ケンはその後何度か一人でさびしそうに歩いているところを見かけたけどね、今じゃもう全然見なくなったわね」
 私は同級生のスミレに電話した。スミレの対応はあっさりとしており、「炸裂拳? ああいたわね。そんなの。最近は子育てに忙しくてそれどころじゃないわよ」と言われた。スミレは私と一番仲が良く、炸裂拳の話だったら一日中でもしていられたのに。当時は「そんなのいわたね」なんて呼べるレベルじゃないほど影響力は強かったはずなのに。
 私は無性に不安になり、熊谷みやげを抱えて、急いで炸裂拳の実家を回った。彼らの表札は違う苗字が書かれていた。隣近所の人たちに聞いても、彼らがどこに引っ越したのか誰も知らなかった。
 私は熊谷みやげを持ってひとり立ちつくす。これから私はどうやって生きていけばいいのだろう。あの3人に会いたい。しかしその手がかりはもう何も残されていない。