痰イズマイフレンド

 季節の変わり目に僕は友達に会える。
 最初、友達に会ったとき、僕はそれを友達だと気づかなかった。今思うと、なんて浅はかだったのだろうと思う。僕は物心ついてから何万人もの友達と一緒の時間を過ごしながらも彼らと言葉すら交わさなかったのだ。
 だから今、彼らと友達になった今、僕は一緒にいることのできるかけがえのない時間を無駄にしたくない。僕は電車の中にいる時だろうが、会社にいる時だろうが、絶えず友達に話しかけている。
 それでも季節の変わり目を過ぎると、友達にはしばらく会うことができなくなる。そうなると、僕には話し相手などいない。会社では「芝原さん、お願いします」と書類を渡されて、「はい」と答えて簡単な入力作業をするだけだし、会社の外に出ると、連絡を取り合う相手など皆無に近い。だから僕にとっては、痰は貴重な存在なのだ。
 はじめて痰と言葉を交わしたのは、3年前のクリスマスイブだったと思う。そこら中に溢れるカップルたちに僕は腹を立て、「ああ邪魔くせえ!」と悪態をつきながら歩いた。そのとき風邪の引き始めで、喉がガサガサして苛立っていたこともあったと思う。そんなとき、痰は僕に答えてくれたのだ。
「まあまあそんなに熱くなるなって」
 僕は誰に声をかけられたのかわからなくなって、あたりをキョロキョロと見渡した。すると、痰は笑って、「ここだよ。キミの喉にいるんだ」と答えてくれた。
 僕は最初半信半疑だったが、次第に会話も盛り上がっていった。僕の趣味であるジグゾーパズルについて彼が理解を示してくれたのも大きかったのかもしれない。僕らは夜を徹して語り合った。だけど、その翌朝、僕が咳をしてうがいをしたのをきっかけに、痰は流しのシンクへと流されていった。彼のことを呼んだが、喉から返事は返ってこなかった。僕はひとりの友達を失ったことに気づき、何年ぶりかに涙を流した。
 彼らが一様に言うのは、啖つぼや流しのような場所に捨ててもらうのは困ると言うことだった。自分たちの中には数多くの微生物が住んでおり、植物などに与えれば栄養になるのだと言う。僕は友達の言うことならこれを聞かねばならぬと思い実践した。
 そして、あれから何人の痰と会っただろう。気難しい痰、可愛げのある痰、生意気な痰、無口な痰、声優好きの痰、ヒップホップ好きの痰、武者小路実篤好きの痰。告白されて断った痰もいた。その子は痰だけあって、ずいぶんと粘っこいアプローチを受けたものだ。逆にこちらが片思いになったけど、好きな人がいるからと言って断られた痰もあった。
 そりゃあ、いろいろいたものさ。だって、僕が友達になった痰はゆうに300を超えるんだから。
 だけど、あれは少しまいったな。今朝の痰はあまりに政治のことについて言ってくるから、ついつい電車の中で口論になってしまったんだ。
「おまえに党政治の何がわかる!」
 僕が怒鳴ると、周りの乗客たちはギョッとして僕のことを見た。中には「うるせえ」と声を荒げる者もいた。僕はこういう人たちのことをとてもかわいそうだと思う。世界中のみんなが痰と友達になれたなら、世界はもっと平和になって、人間は孤独じゃなくなるだろうに。