パッチワークの勝利

 山永優斗が勤める食品会社ユモンである大事件が起こった。同社の社内で最も人気があると言われていた総務の“石丸ちゃん”こと石丸真澄が社内の男性3人と三つ股をかけていることが発覚したのだ。
 優斗は実はその中の一人だった。優斗と真澄は結婚の約束までしており、石丸家の両親への挨拶も済ませていたので、まさか自分の他にもライバルがいるとは思いもしなかった。それは他の2人にとっても同じようで、“虫も殺さない石丸ちゃん”と親しまれていた真澄がまさかの悪女であることが発覚したのだ。
 同僚の女性社員たちは、この被害者3人に対して、「あんな浮気女、やめちゃいなよー。それより私と結婚しようよー」とモーションをかけたが、3人のうち誰もこの誘いに乗らなかった。3人にとっては真澄こそが理想の女性であり、他の女性と結婚することなど考えられなかったのだ。この騒動に関係ない男性社員は「バカだな、あいつら」と言って冷やかしたが、このような外野の声も彼らの熱い愛にとってはどこ吹く風だった。
 この3人は一様に「僕のことを選んでくれ」と言って真澄に迫った。困った真澄は、ある課題を3人に出すことにした。その内容とは、「自分が全く挑戦したことのないような未知のジャンルの夢を掲げて、それを実行してほしい」と言うものだった。
 男たちは悩んだ。とにかく大きな目標を掲げないと夢のない男だと思われてしまう。運命の発表は会議室で全社員が見る前で行われた。この3人は全てユモンの社員だったため、騒動を面白がった社長が、「全社員にとっても他人事ではないから出席するように」と命令を出したのだ。
 20人ほどしか入れないはずの会議室に全社員65人が詰め込まれる中、中川課長の司会で発表会が行われた。まずは優斗の番だった。優斗はホワイトボードに「パッチワーク」と書いた。それを見た全社員が大笑いし、他の2人は勝ったと確信した。現に他の社員2人が挙げたものと言えば、「宇宙旅行」と「バンジージャンプ」だったからだ。
 その2人の大きな目標を見た他の社員は「おおお」と歓声をあげた。歓声を聞いた2人はとっても得意そうに見えた。
 しかし問題は発表会だけではなく、それをいかにして実行するかにもかかっていた。
「来週の火曜日にもう一度会議室に集まってください。この3人が果たして夢を実行できたかどうかを検証します」と課長が言い、第一回の会合は閉会した。
 その日以来、優斗は夜を徹して不器用な指を動かしてパッチワークに挑んだ。優斗は中学高校とラグビー部で硬派キャラで知られていただけにパッチワークのパの字も知らなかった。1週間かけてもろくなものは作れずに、優斗自身も自分の負けはほぼ間違いないだろうと思った。
 そして翌週の火曜日、第二回の戦いが行われた。会議室の入り口には「夢は実行できたのか?」という看板がかけられた。トップバッターの優斗がボロボロのパッチワークを取り出すと、会場内からは失笑が漏れた。
「そんなお粗末なもので、石丸ちゃんのハートをつかめるわけがねえだろ」
「おととい来やがれ!」
 そう言った野次が漏れた。
 そして残りの2人の番が来た。宇宙旅行と答えたほうはもちろん、バンジージャンプと答えたほうも実行はできなかった。バンジーの彼いわく、「自分は心臓が弱いから、少し自信がなくなった」とのことだった。宇宙旅行の彼は「いつか石丸ちゃんと2人で成し遂げたい」と夢のあることを言った。これを聞いた女子社員は「素敵…」と言って目をウルウルさせた。
「じゃあ、それでは石丸ちゃんに発表してもらいましょう」と課長が言い、遂に発表のときが来た。社内のオッズは宇宙旅行バンジージャンプで半々に割れていた。もちろん優斗に票を入れるものなど誰もいない。
 36人のゴクリと唾を飲む音が会議室にこだまし、3人が手を差し出した。一瞬の間があり、真澄が一歩前に出る。誰だ、誰を選ぶんだ、石丸ちゃん。他の男性社員からの声が聞こえるかのようだった。真澄が手を出す、そして手を握る。その握った手の持ち主を確認した社員たちは、自分の目を疑った。なんとそれは優斗だったのだ。
 真澄はその後のスピーチで「私は大風呂敷を広げる人間は嫌いです。結婚相手には現実感というものを持っていてほしい。その点、山永くんの持つ夢はパッチワークと言う、とてもちっぽけで、他愛のないものではありますが、それを不器用ながらも実行したということは評価したいと思います。きっと山永くんとの結婚生活は夢のない、お寒いものとなることでしょう。正直、今から不安です。でも、結婚生活には大きな夢はいらないのです。むしろ目の前のことをコツコツとやる地味な根気こそが必要なのです!」
 社員たちはこの素晴らしいスピーチにどよめいた。「さすが石丸ちゃんだ!」「わが社のアイドルは言うことが違う!」
 真澄のスピーチを聞いた優斗は全然褒められている気がしなくて複雑な気分だったが、何にせよ勝負に勝っただけ結果オーライだと思い込もうと努力した。