軽蔑仮面ケベンベン

 うちの息子が突然「軽蔑仮面になりたい」と言い出した。息子は中学生にもなっていつもこうやって突拍子もないことを言うので、今回もまた思いつきでくだらないことを言っているのだろうと思っていたが、今回は少し違った。
 話がなんとなく将来の進路について聞かざるを得なくなったとき、私は「そう言えばあんた、高校は決めたの?」と聞いた。すると、息子は「え? 何を言っているの。母さん。僕はこないだちゃんと進路について表明したじゃないか」と言い返された。その瞬間、私は軽蔑仮面のことは失念していたから、「なんだっけ?」と聞いてしまい、息子はいたく傷ついたのか、「いつもそうだ。母さんは僕の話を全然聞いていない」と言って部屋にこもってしまった。
 それから1週間、息子は私と口を聞こうとはしなかったが、今日久しぶりに「母さん」と声をかけてきたかと思ったら、「将来についての展望」と表紙に書かれたA4の厚さ2センチほどの書類を手渡してきた。
 息子はそのまま学校に行き、私は笑っていいともを横目で見ながらその書類を読んでいる。その内容は次のようなものだった。

 僕は人を軽蔑したことがなく、大変これを恥じている。うちの父と母は他人に優しく、人を軽蔑したり卑下したりすることが少なく、自分もそのDNAを引き継いでしまったようだ。僕はこれに対処するために、軽蔑仮面になろうと思う。軽蔑仮面をかぶればきっと本来の自分じゃなくなって人を軽蔑することができるからだ。
 試しに先週の金曜日、軽蔑仮面をかぶって外に出た。すると、世の中には軽蔑に値する人がたくさんいることに気づいた。政治家やタレント、クラスのいじめっ子や先生。僕の世界は一気に広がった。人を軽蔑することがこれほどに気持ちがいいものだなんて。自分が強くなった気分だ。だから僕は一生軽蔑仮面でやっていこうと思う。
 ただ軽蔑仮面で食っていくためにはビジネスにしなくてはならない。幸いにも世の中には変わった人たちがいて、自分のことを軽蔑してほしい!という性癖の人がいるということを父親の本棚から盗み見た官能小説に書いてあった。だから僕は軽蔑仮面をかぶって彼らのもとに行って思い切り軽蔑すれば、それはそれで金になると思うのだ。
 そこでネーミングをケベンベンとした。ただの軽蔑仮面だと、呼ぶときにいちいち躊躇するかもしれないが、ケベンベンだと、「ああ、ケベンベンを呼ぼう」と気軽に思うことができるかもしれない。

 私はそこまで読むと、退屈のあまり眠ってしまった。軽蔑仮面になりたいという突飛な発想には面食らったが、いかんせん具体性とヴィジョンがあまりに乏しかった。具体性とヴィジョンが欠ける計画は必ず頓挫する。私が最初に入った会社で上司から口をすっぱくして言われていた教訓だ。そんなことを考えながら私がうつらうつらとテーブルに突っ伏して寝ていると、息子が帰宅した。私はドアを開ける物音で目が覚める。息子がうれしそうに聞いてきた。
「どう、ケベンベン。いけそうでしょ」
「私は無理だと思う。ネーミングは悪くないけどね。ケベンベン」
「そうか。じゃあ、母さんなりのアドバイスをちょうだいよ。ケベンベンとして生きていくにはどうしたらいいか」
 私は考える。母として、ひとりの大人として、息子にはなんとか有益なアドバイスを与えてあげたい。「うーん、そうね。就職してから考えるって言うのは? 就職しても別にケベンベンはできるでしょ。だから最初からケベンベンに決めなくても」
「ああ、それは言えてるかもしれないね。じゃあ僕、家電が好きだから、家電メーカーに就職するよ。家電メーカーとケベンベンの両立だったら、母さんも賛成でしょ」
「そうね。それならやってもいいわ、ケベンベン。でも家電メーカーに就職したいなら、勉強いっぱい頑張らないと入れないわよ。お父さんも私も勉強は苦手なんだから、教えることはできないんだし」
「大丈夫、僕はやるよ。その代わり、今日から僕のことをケベンベンって呼んでほしいんだ。そのほうが夢に向かって頑張れる気がするから」
「わかったわ、ケベンベン」
「ありがとう! 母さん大好き!」
 息子はそう言って居間で参考書を広げ勉強を始めた。私は小さな声でつぶやく。ケベンベン、ケベンベン。息子が人を軽蔑することに喜びを感じることはどうでもいいとして、ケベンベンという名前は、私と旦那がつけた「要次郎」という微妙な名前よりも親しみやすい気がするから、思い切って改名してしまうのもいいかもしれない。青木ケベンベン。うん、悪くない。