『POPEROU』

 愛爾は10年ほど売れないバンドをやっている。というか、彼の人生はそれしかない。普段はコールセンターでアルバイトをし、稼いだ金は全てバンドに使っている。10年前にバンドをはじめた頃はメジャーデビューだ紅白目指すぞと意気込んでいたが、10年も経ってしまった今、そのような夢物語を語る元気もない。ただ、人生それだけになってしまったから仕方なく続けているだけなのだ。
 バンドのライブは月に2,3回のペースで行っている。客はいつも決まった面子の6人。10年間もバンドをやっていれば少しはファンはつくもので、なんとかこの6人がチケット代を支払ってくれることでノルマを全部かぶらなくて済んでいる。
 そんな静かに過ごしてきた10年間だったが、突然大事件が起こったのは、先月初旬のことだった。愛爾のバンド名はポペロウというのだが、なんとこれと同じタイトルの小説をある超有名女優の夏岡シズクが処女作として出版したのだった。このニュースを見たとき、愛爾は目を疑った。ポペロウとは全く意味のない言葉で、10年前の愛爾がこの世にない言葉を生み出してそれをバンド名にしようと言う狙いでつけたものだった。そんな名前をどこから夏岡シズクが見つけてきたのか…。それは世間も同じだったようで、夏岡シズクの小説『POPEROU』と同じバンド名のバンドがあるらしい!ということでインターネットで話題になった。中にはライブハウスに足を運ぶ物好きもいて、ライブをやると普段よりも20人くらい多い動員が入った。自主制作CDを買っていく者もいたし、アンケートに「夏岡シズクつながりで来ちゃいましたが予想以上に良かったです。愛爾さんの書く詞の世界観にハマっちゃいそうです」というものもあった。
 異変はこれだけでなく、愛爾は雑誌社からのインタビューを受けることになった。彼がインタビューを受けるのは10年間バンドをやってきて初めての経験だった。3年前にエイプで買った勝負服のTシャツを着て出かけると、ライターとカメラマンの人が来ていた。インタビューの内容はバンドにはほとんど関係なく、「なぜ夏岡シズクの小説のタイトルでもあるポペロウというバンド名をつけたのか」ということに終始した。
 愛爾はバンド名だけでこれほどまでに運命が変わるものなかと思った。しかし問題だったのは、そのときは誰もまだ夏岡シズクの小説の中身を読んでないことだった。ポペロウという言葉はミステリアスな言葉として一人歩きを続け、「ポペロウだね」(=よくわからないけれど注目度の高いものだね)という流行語も生まれた。雑誌だけではなくTVやラジオでの取材も増え、愛爾はポペロウのリーダーだということだけで時の人となった。
 そしてついに夏岡シズクの『POPEROU』が出版された。その内容は意外なことに農業サスペンスという全く新しいジャンルのものだった。新しい種類の米を開発しようとしている馬場正二という男が、品種改良を続ける中で産業廃棄物の業者や中国の農業スパイからの妨害を受け、奮闘していく…。
 肝心のポペロウとはこの馬場という男が開発する米の名前だった。夏岡はインタビューでこう語っている。「ポペロウという単語は全くの思いつきです。なんとなくの響きが良かったのかもしれません。世間にはポペロウというバンドさんがいらっしゃるそうですが、あの方たちとは関係はありません。もしかしたら私がどこかでポペロウさんの名前を見かけて、それが頭の片隅に残っていたのかもしれませんが。何にせよ、今回の小説のおかげで関係ないバンドさんに迷惑をかけてしまったことはお詫びしないといけませんね」
 愛爾はその記事を読んで、とんでもないと思った。自分はそれまで全く日の当たらない人生を歩んできたのに、そんな自分にほんのわずかな光だけでも与えてくれたことに感謝しなくてはならない。事実、ポペロウというバンド名につられて一時はライブの動員が増えたものの、すぐにそれも元の6人に戻った。このことによって愛爾はあることに気づいた。自分には音楽の才能がないのだということを。それまでは自分を見つけられない世の中のせいにしていたのだが、こうしてひょんなことでスポットが当たってくれたのにもかかわらず、リスナーをつなぎとめておけなかったのはひとえに自分のせいなのだ。
 愛爾はこの教訓を生かし、バンドを辞めた。コールセンターのバイトも辞め、新たな人生を歩むことを決意した。愛爾は現在、農業の見習いとして山口県の農家で修行をしている。山口県を選んだのは、夏岡シズクの小説の舞台が山口県だったからだ。愛爾は夏岡シズクの小説を読んでその面白さに感動し、農業というものに興味を持ち、自分が本当にポペロウという名前の新種の米を作れないだろうかと思ったのだ。
 愛爾は農家の先輩方に毎日怒られながら、運命とはなんて面白いものなのだろうと思う。自分が思いつきでポペロウという名前のバンドをやっていなかったら、夏岡シズクの本を読むこともなかったし、どこかの町でつまらない仕事をやって人生を放り投げているかもしれないのだ。この先、自分はどうなるかわからないし、ポペロウを本当に完成させることはできないかもしれない。それでも愛爾は、バンドをはじめた瞬間にも勝るような、いまだかつて感じたことのない充実感を味わっていた。