ワルクチ症に愛の手を

「ワルクチ症ですね。間違いありません」
 医者からこう告げられたときは正直ホッとした。私は小さい頃から人の悪口を言わないと気がすまない性質で、仲がいい人でもみんなが尊敬している人でも、誰彼かまわず悪口を言ってしまうため、よく嫌われた。今では友達など一人もいない。
 別に友達なんて自分には必要ないと思っていたけれど、大人になるとそうは行かない。同僚や上司という、これまた厄介な輩が出現するからだ。私は仕事ができないほうではないから、最初のうちは彼らは私に好意を抱いてくれる。もちろんその好意とは仕事上でのという意味で、男女のものとは全く関係ない。
 しかしながら何年も一緒に働いていると、私があまりに人の悪口を言うので、仕事の出来る出来ないにかかわらず、彼らは私といることを避けるようになる。すると自然に私は孤立していく。会話も減っていく。そして次第に職場での居場所がなくなり、退職届を出して「ほう、そうなのか。これから何をするのか知らないけど頑張ってな」と嬉しそうな顔をされる。しかし私は仕事ができるから転職してもまた合格する。そこでも同じようなプロセスが行われる。これの繰り返しだった。
 中には同僚という、友人でもなんでもない不安定な関係であるにもかかわらず、「室田ちゃん、その悪口ばかり言う癖やめたほうがいいよ」と忠告してくれる者もあった。しかし私はそのたびに反論した。「だって仕方ないのよ。私は悪口を言っていないと、すぐに食欲不振、嘔吐、悪寒、下痢、便秘、胸やけ、むかつき、胃のもたれなどが起こり、立っていることすら覚束なくなってしまうの。つまりは悪口は私のライフラインで、生命維持装置なのよ。あなただって、私には何もいらないみたいなスローライフを実践しているみたいだけど、酸素がなければ生きていけないでしょう? それと同じことよ」
 こうやって熱弁すると、相手はたいてい私の悪口癖に対して二度と何も言ってこなくなる。悪口癖どころか、私と話すことすら嫌がるようになる。私だって、こんな説明が人様に受け入れられないことくらいわかっている。だけど仕方がないのだ。昔はよく禁煙や禁酒と同じようなノリで、禁悪口というのをやろうとした。すると本当に呼吸困難に陥り、病院に搬送されてしまったのだ。あんな思いはもうしたくない。
 そんな私ももう45歳を迎え、転職状況も次第に厳しくなってきた。そういった理由もあって、今回病院で精密検査を依頼したのだが、その結果がこの診断だ。私はワルクチ症。いくら悪口を言っても、それは病気だから仕方ないのだ。
 私はこれまで離れていった友達の名前を思い出し、卒業アルバムなどで電話番号を探し(私の子供の頃は個人情報保護という概念がなかった)、何十年ぶりかに電話をかけた。最初は花田真理子だった。私が名前を言うと、真理子は警戒心を強めた。私は自分がいかに嫌われてきたかを悟ったが、このまま引き下がるわけにはいかない。
「ごめんね。私、小学校の頃にいっぱい人の悪口言ってたよね。あなたの悪口もたくさん言わせてもらったけど、あれは全部病気のせいだとわかったの。ワルクチ症と言ってね、世界では難病指定されているみたいだから、補助金も下りるのよ。いいでしょ。あなたって昔からお金が好きだったじゃない。だから今こうして電話で話していても、うらやましがっているのが手に取るように伝わってくるの。どうせ、ろくな旦那と結婚していないんでしょうから、家計には苦労しているんでしょう? あんた昔から恋愛でうまくいったことないもんね。あんたみたいな性格の悪い女をもらってくれるだけありがたいと思いなさい。今度おごってあげるから、食事でも行きましょうよ」
「結構です」ガチャン。相手は最後まで聞かずに電話を切った。私が病気だということをカミングアウトしたというのに、ずいぶん冷たい反応ではないだろうか。まあ確かに、途中から悪口モードになってしまったのはいただけなかったが。
 私は続いて中沢エレナの家にかける。エレナは私が名乗るとすぐに電話を切った。続いて鹿山美香にかける。美香は私が病気だということはしっかり聞いてくれたが、今度食事でも行こうというと、「忙しいから無理です」と言って切られてしまった。
 やっぱり同級生とは冷たいものだ。ターゲットを変えて昔の会社の同僚に電話をしてみたが、ことごとくあしらわれた。病人に優しくできないなんて、一体この国はどうなっているんだ? 私はイライラしてきたので、悪口を言いたくて言いたくて仕方がなくなった。とりあえず手っ取り早く電話をする相手も思い当たらなかったので、近くのファミレスに行き、ウエイトレスの女の子に自分の友達や同僚、今の政治家や芸能人の悪口を言いまくった。相手は本当に嫌そうな顔をして聞いていた。