34億5千万人との結婚リターンズ

「今年でこのブログを更新するのは最後になるかもしれません」
 正春が、自身の愛読するブログ「34億5千万人との結婚」を開くと、いきなりそんな不安な書き出しが目に飛び込んできた。ブログの作者の水木吾郎氏は続いてこう続けていた。
「理由は妻にこのブログの存在を勘付かれたかもしれないからです。年末年始は妻と行動することが多くなるため、彼女の目を盗んで更新することは難しくなりそうです。来年も再開できることを願って。では皆様、よいお年を!」
 正春はしばらく水木氏のブログが読めないことを残念に思ったが、何よりも驚いたのは、水木氏が“実際に”結婚していたということだった。“実際に”というのはこういうことだ。水木氏のブログの内容について簡単に説明すると、彼は世界中にいる全員の女性と結婚したいという願望の持ち主で、それを妄想として書き連ねることで叶えていた。現在、世界中の人口は69億人いるため、その半数である34億5千万人と結婚するということが水木氏の永遠のテーマだった。水木氏は5分に1回のペースで更新し続け、その中で毎回毎回新たな女性との結婚生活を妄想した。5分に1回でも驚異的なペースではあったが、それでも34億5千万人分の結婚生活を綴るには何十年もかかると予想された。
 正春がこのブログを初めて読んだときの驚きは計り知れない。そこにはロシアやバングラデシュジンバブエボリビアなど、世界中に散らばる様々な性格の女性との結婚生活の妄想をリアルに描き出し、まるで事実かのように感じさせてくれた。正春は恋愛経験が乏しかったから、水木氏のブログを読むことで結婚生活がどんなものか、国際結婚や年の差恋愛がいかに大変であるかなどを学ぶことができた。正春にとって水木氏のブログは恋愛のバイブルでもあった。
 正春はてっきり水木氏は独身だとばかり思っていた。彼の世界中の女性を知りたい!という情熱があの猛烈な量の文章と想像力を生み出すのだろうと。しかし、そんな彼も現実世界に一人の妻がいるのだ。その事実に対し、正春は余計に水木氏へのリスペクトを高めるようになった。同じことを思っていた者たちは多いようで、コメント欄にも「水木さんが結婚していたなんてチョー驚き!」「一人の女性との結婚生活を続けながら、頭の中でもあんなに多数の女性を相手にしているなんて…妄想でも凄すぎます」などと言う意見が見られた。
 それが今、再開できるかどうかの危機に立たされている。正春は水木氏のブログを読むことを日課にして生きてきた。これが年末年始の数日間で済んでくれればいいが、もしも水木氏の妻にバレてブログ閉鎖などという事態になってしまったら立ち直れる自信がない。
 いや、待てよ。正春の頭にはある考えが思い浮かんだ。もしも仮に水木氏がブログを閉鎖するような事態になったとしたら、「34億5千万人との結婚リターンズ」として自分がブログを再開&継続するのはどうだろうか。自分には水木氏ほどの文章力も想像力もないし、その完成度においては足元にも及ばないだろうが、むしろあんな風に自分が頭の中で世界中の女性と出会ってみたかった。彼女たちと過ごすことだけにうつつを抜かす日々を送ってみたかった。そうと決まれば研究だ。正春は水木氏のブログを最初から読み返し、現在書かれている17億3652人の女性との恋愛をもう一度擬似体験し、そのノウハウを会得してみようと考えた。