濁点のない世界

「タルヒッシュのねんほう、こ億円たってね」
「本当に? こ億円か。すこいなー。俺かアルハイトてもらう給料は、その1000ふんの1たよ。俺も金持ちになりてえー。てもさ、ライオンスの涌井は悔しいたろうね」
「そうたね、涌井のほうか勝ち数は多いからね」
「あ、ところてさ、こないたの件とうなった?」
「こうコンの件たろ? あれ、にんすうか揃わないからやめることにしたよ」
「ええー、マシて? 俺すっこく楽しみにしてたのに」
「こめんこめん。その代わりのこうコン、また企画するからさ」
「せったいたそ! 俺最近、こうコン行ってないから、女の子と知り合う機会がなくてさ。頼みますよ、本当に」
「はいはい。任せとけって」

 電車の中で交わされる学生同士の会話を聞いて、岡野真人は心が洗われる思いだった。この学生たちはなんという美しい声で話すのだろう。まるで小鳥のさえずりではないか。岡野は学生の会話に耳を傾けながら、その理由に思い当たった。彼らはどうやら濁点と半濁点を話すことを避けているようだ。
 濁点を話さないだけで、言葉がこんなに美しく聞こえるとは。岡野は意外に思った。確かに、若者向けの雑誌で、今は濁点を使うことを放棄したグループがいることを読んだことがある。そのときは、またおかしな流行かと思ったが、実際に聞いてみると、こんなに美しいとは……。
 岡野は学生たちの濁点抜きの会話を考えながら、あることを考えていた。今度の選挙のときは、「日本を濁点のない世界にしましょう」というスローガンを掲げるのはどうだろうか。そのような新鮮なスローガンを掲げた政治家はいないだろうから、ある程度の票は見込めるに違いない。
 岡野は政治家としては今、完全に手詰まりの状態だった。「美しい国を作る」と言って多くの保守層を取り込もうとはしていたが、具体的な政策に欠けており、今では“終わった政治家”としてみなされていた。そのためには、次の選挙あたりで起死回生の大逆転を仕掛けなくては自分の人生が好転することはないだろう。岡野は学生2人を参謀としてスカウトするために自分から話しかけてみることにした。
「ねえ、そこの君たち。その話し方すっこくいいね。よけれは、私も混せてくれないかな? おねかいしますよ!」