プラモデル王子

 東京23区にある、とある駅の商店街に誰も気づかないような小さなプラモデル屋がある。この店には長い歴史があり、店主の間島恭二郎が20歳の頃に始めて、今年でちょうど50年を迎えていた。恭二郎はもうフルタイムで店に立つのが辛くなってきたため、今では息子の浩太に大学が休みの日に店番をしてもらっている。
 浩太は時給を500円もらっていた。近所のコンビニより安い給料ではあるが、自分の家であるということと、客が来ないときは漫画でもゲームでも好きに遊べたから居心地はよかった。ただ1人の客との接客を除いては……。
 浩太が嫌う客はいつも午後2時ごろに決まって現れた。どうしてこんな場末のプラモデル屋に毎日通うのか、浩太にとっては子供の頃からの疑問だった。しかも男は40代だか50代だかの働き盛りの年齢に見えるのに、午後2時に現れてブラブラしているとはどういうわけなのだろう。格好はいつも同じブルゾンを羽織っており、何が入っているかわからない紙袋を手に提げていた。
 男はいつも浩太の顔を見ると、「オヤジさん、いないの? 全くもう、こないだ注文していおいたプラモ入荷してねえじゃんか。なんとかしてくれよ。オヤジさん、上にいるんだろ? いるなら呼んでくんねえかな」と横柄な口を聞く。浩太は男のそんな態度が嫌いで嫌いで仕方がない。しかも浩太が父親を呼ぶと、ヘコヘコしながら降りてきて男の言うことを聞いているのが気に食わなかった。
「ごめんなさいね。あの商品、なかなかメーカーから送られてこなくてね。それよりさ、お茶でも飲んでくかい? 暇してるんだろ?」
 そうやって父親がお茶をすすめると、男は決まって「いや忙しいんだけどな」なんて言いながらもお茶を飲み、昔の自慢話のようなものを始める。浩太は男の話を聞きたくなかったから、2人の話が始まると自分の部屋に避難するのが常だった。そして男が帰った頃合いを見計らって店に降りる。父親は「悪かったね」なんて言いながら店番を再び浩太と替わる。
 浩太は2人の間には何か並々ならぬ空気があると感じていたので、なかなか関係を聞き出すことができなかった。もしかしたら父親があの男に借金をしているのかもしれないし、浮気話か何かを握られているのかもしれない。だが、さすがに何度も何度も男に横柄な態度で話しかけられるのに辟易した浩太は、ある日父親に男との関係を聞いてみることにした。
「ねえ父さん。あの客、いったい何なのさ? うちに来ると途端に大きな態度になってさ。一度駅であの男を見たことがあるんだけど、そのときはキョロキョロして挙動不審でただの小心者にしか見えなかったのに」
 父親はぐっと一息考え込んだあとに言った。「あの人はな、プラモデル王子なんだ」
「プラモデル王子?」
「ああ。今では想像できないかもしれないけど、この店はプラモデルの専門番組で紹介されるほどの人気店だった。雑誌や芸能人がしょっちゅう取材に来てな。うちでは定期的なコンテストを開催していて、参加者が殺到したものだよ。そのコンテストで毎回優勝していたのが彼だよ。彼は当時、プラモデル王子と呼ばれてその名を欲しいままにした。一時はテレビにも顔を出していたから、彼がうちの店にいると、“あ、プラモデル王子がいる!”なんて言ってサインをねだられていたこともあった。ただな、プラモデルで一生生きていくことはできないんだ。彼は何度か就職したが、あの頃の小さな栄光が忘れられなかったんだろうな。結局はどんな仕事も続かなかった。人に遣われるのが嫌だったんだろう。おまえもよく人からチヤホヤされたいなんて言うこともあるけど、若い時に人からチヤホヤされることはそんなにいいもんじゃないぞ。彼なんて、ヘタにその味を覚えたもんだから、大人になっても忘れられなくなってしまったんだ。今では彼のプラモデル王子時代の栄光を覚えている者など誰もいない。それを思い出せるのはこの場所だけだし、思い出させてやれるのは私だけなんだ。彼がプラモデル王子としてああやって大きな態度を取るのも、この店の中だけだ。彼が店の外に一歩でも出ると、プラモデル王子でもなんでもない、ただの無職の中年男になってしまう。私は彼の行き場所がなくなるのが辛いんだよ。だから私が元気でいる限りは、プラモデル王子でいさせてやろうと思っているんだ」
 浩太はそれを聞いて、少し寛大な気持ちになった。自分は父親みたいにチヤホヤしてあげることはできないが、次に会ったときは昔話のひとつでも聞いてあげることにしよう。