ハムカツ冷めちゃう

 夕食のテーブルについたときにタダシの様子がおかしかったので、母親としてはここはしっかり何があったのか聞いておかないといけないと思い、ミツコは単刀直入に聞いた。
「ねえタダシ、何があったの」
 タダシはミツコの顔も見ずにテレビを見つめる。ミツコはその手をテーブル越しにつかむ。
「うちの家族は秘密禁止よ。何があったのか言いなさい」
 タダシは無言でミツコの腕を振りほどき、自分のカバンからある紙を出した。ミツコがその紙を見ると、そこには「モトコロ教へのお誘い」と書いてある。
「何これ? 何かの宗教にでも勧誘されたの?」
「クラスのソラくんが配ってたんだ。これに入れば、野球部でもレギュラーになれるし、東大も入れるし、年収2000万円くらいもらえるからって」
「いまどきの宗教はそんな名目で勧誘するのね。で、どうしたの? まさかあなた、その宗教に入るって言うんじゃないでしょうね」
「入ると決めたわけじゃないけどさ、迷ってるんだ。今度の日曜にソラくんの家で説明会を行うんだって。僕たち、先が不安な世代だからさ、こういうもので安心を得たいんだよ」
「そんなものに入ったからって言って年収2000万円もらえる保証がどこにあるの? その紙貸しなさい。私がソラくんの家に電話して断ってあげるから」
 タダシは渋々とミツコに紙を渡した。ミツコはそこに書いてあるソラの携帯番号に電話した。
「はい、モトコロ教本部ですが」
「あなた、ソラくんね。私、マツオカタダシの母ですけど。困るんですよね。こういう真似をされたら」
「こういう真似とはどういう真似でしょうか」
「勧誘よ。勧誘。あなたまだ小学生でしょ。そんなことより勉強したらどうなの。来年は中学受験とかるんじゃないの」
「わっはっは。お母さんもずいぶんとまたステレオタイプなことをおっしゃる。僕たちの世代には受験も何もないんです。いい大学に入ったからって就職できる保証はどこにもないし、かと言って、大きな夢を持つこともよしとされない。あなたがた親たちは、口をすっぱくして受験だ就職だ夢だとかいいますけど、どこに保証があるんですか?」
 ミツコは何も言い返せなくなった。それは確かに図星なのだが、何かが間違っている気がする。ミツコが沈黙しているのを見て、後ろに立っているタダシが「ほら見たことか。ソラくんは口がうまいんだよ」とつぶやいている。
 ミツコはようやく口を開く。「わかりました。百歩譲ってあなたの主張を認めましょう。ただ、あなたのそのナントカ教に入ることで何が保証されるというの? 保証されないのはどちらも同じじゃないの」
「ははは、それが俗物根性って言うんですよ、お母さん。いいですか、私は去年、神からの啓示を受けました。モトコロ様という、銀河系の中にあるサボロミアスという惑星に住む神様が私の頭の中に降臨したのです。モトコロ様は言います。私を信じてれば全て叶うと。現に私を信じたクラスメイトたちはみんなテストでいい点を取るようになりました」
 そうやって語るソラの口調には何かしら人を信じさせるものがあった。何なのだろう、この子は。まだ小学5年生だと言うのに、37歳の女を惑わすなんて。ミツコは思わず、この子を信じれば生活も改善するのではないかという幻想にとらわれた。ミツコが結婚した元旦那のハルジは会社の横領がバレたことをきっかけに蒸発した。その際に莫大な借金があったことも発覚し、ミツコの家の実家からも返済しなくてはならなくなり、生活は一変した。ミツコはパートで働いていたが、子供を養えるほどの額は稼げず、いまだに定期的に消費者金融で金を借りている。もしもこの子が言うとおり、すべてが思い通りになるなら、信じてもいいのでないか。
「そのモトコロ教って言うのは、大人でも入れるわけ?」
「もちろんですとも。うちの両親だって入ってますから。今度集会があるから来てご覧なさい」
「わかったわ、行かせていただきます。そのときにどれくらい信憑性のあるものか見てやるから」
 ミツコは電話を切り、タダシと向き合った。
「お母さん、今度の集会に行くことになっちゃった」
「ほら見たことか。ソラくんって言うのは、何かを持っている人なんだよ。こうなった以上、仕方がないじゃないか。一緒に行ってどれくらい本当っぽいか確かめてみようよ」
 ミツコはうなずき、再びハムカツに手をつけた。「ほら、冷めちゃうわよ、ハムカツ」タダシもこくりとうなずき、2人で黙々とハムカツを口に運んだ。