食べ物差別にご用心

 2015年、度を越した健康志向ブームが日本列島に吹き荒れ、その後は食べもので人間を判断される時代がやってきた。ジャンクフードを食べる人間は人間ではないとみなされ、栄養のバランスのよい食べ物を食べている人間は、恋愛においても、仕事においても高い評価を受けた。仕事の打ち合わせなどでは、最近どんな食べ物を食べているかの自慢が始まる。栄養について詳しくない人間は出世することもできなかった。
 異性をジャッジするにあたっても、このあたりが最重要視された。特に女性は、男性と初めて会話したときに、その食生活や栄養についての知識、料理の腕前などに興味を持つのが常だった。それらの要素が揃っていれば、ルックスも年収も優しさやユーモアなども関係ないとされた。
 こんな時代になって痛い目を見るようになった男たちは多い。5年前に20個もの会社を経営して時代の寵児と言われた花島篤弘はジャンクフードが好きで好きでたまらなかったため、まわりから人が離れていった。花島のもとに仕えていた部下たちも離れ、かつての愛人たちも姿を消した。今では食べ物の専門学校に通っているという。
 逆にこんな時代が来たおかげで、急激にモテるようになった男たちもいた。5年前にフリーターとして年収80万円しか稼げずに格差社会の底辺に属すると自覚していた長橋新太郎は、貧乏生活を極める中でいかに安い食材でバランスのいい栄養をとるかに必死だった。今ではそのときに得た技術と知恵がもてはやされ、ベストセラーを何冊も出し、いつもまわりに美女をはべらせている。
 つまり人々は、気づいてしまったのだ。いかに顔がよかろうと、いかに金を持っていようと、自分のところに栄養のバランスのいい食べ物を調達できる人間こそが一緒にいるべき人間なのだということを。この時代に生きている人間たちは、昔の映画や小説を鑑賞しても全く共感できないという。ハンサム? リッチ? そのような言葉は今では空しく響くだけである。読んでも食べ物とは人間の生命に直結する重要な事項なだけに、この傾向はしばらく続くだろうと思われる。
 ただそれはそれで、問題がいくつかあることを忘れてはいけない。ジャンクフードを好きな子供たちはクラスで徹底した差別をされているという。私も昨日、「バーガー男」とか「スナック人間」とか言われて石を投げつけられている子供の姿を見た。こういった差別に対しては、政府が自重するようになんらかの呼びかけをする動きもあるようだ。