時は過ぎるよ、新幹線のように

 昨日ランドセルを背負ってたかと思ったら、もう還暦だった。我が人生を今振り返ってみると、何ひとつ自分のやったことを思い出せない。傍らに誰も寝ていないところを見ると結婚はしていないのだろう。ただ、住んでいるマンションは狭くはないので、金には苦労していなかったのではないかと思われる。では、その金はどこでどうやって稼いだのかと聞かれると、答えることができない。部屋の隅には同僚からのものと見られる寄せ書きが置いてある。「課長、定年退職お疲れさま!」と言う見出しで。そこに書き記してある人間の名前は見たことも聞いたこともない。会社名は「ブヨーン」とのことだが、何をやっている会社なのかもさっぱりわからない。
 ランドセルを背負っていたときのことははっきりと覚えている。あの頃は昆虫を追いかけながら「虫の博士」になることを夢見ていた。毎日知らない昆虫を捕獲することが楽しくて仕方がなかった。その頃好きだったクラスの舞ちゃんに会うたびに、いつも昨日つかまえた虫の話をしていた。舞ちゃんは全然興味なさそうだったが、優しくうなづいてくれた。あの舞ちゃんは今頃何をやっているのだろう。
 舞ちゃんと同じクラスだったのは小学校3、4年の時だから、それから今まで約50年が経過したことになる。記憶を失くしていたわけではない。確かに覚えていないのだが、残すべき記憶が何ひとつないことに、今ようやく脳が気づいてしまったような感じだ。部屋を見渡しても、個性の欠片もない家である。本棚にはビジネス本とパチンコの攻略本と漫画が少々。CD棚にはクラシックとジャズの廉価版が15枚ほど。クローゼットには無難なスーツが何着か。
 自分の50年間が残したものはたったのこれだけだったのか。喉が無性に渇いていたので、コーヒーを淹れる。全く美味いとは思わないが、部屋にあるということはコーヒーを飲んでいたのだろう。自分の食べ物の好みというものもわからない。腹は減っているようであるが、何を食べていいのかわからない。
 鏡の前に立ち、真っ白になった頭と皺が刻まれた肌の男を見る。確かにランドセルの頃の面影はある。笑ってみる。スキのない笑いであり、苦しんできた男の笑いではない。が、その奥にある感情は何も見えない。もう一度笑ってみる。この鏡の中の男は、何が面白くて笑っているのだろうか。この50年間を生きてきた証は何ひとつないというのに。私は鏡を割りたい気持ちになり、近くのトンカチに手を伸ばす。