筆を握れよ、滝へ行こう

 わたしはベストセラー本しか読まないことをポリシーとしている。それ以外の本は読むk価値がないからだ。ベストセラー本というのは、ベストセラーになるだけの必然性というものがある。わたしはベストセラーを読むことで、今この時代が抱えている問題と、人々の叫び声に耳をすますことができる。ベストセラーでない本の背後には、ほんのひと握りの人間の小さな声しか聞こえないから読むに値しない。
 先日ベストセラーになったお笑いタレントの山川タスクが書いた『金庫の裏に影法師』も今の時代のトレンドを反映していると思う。この小説の主人公である22歳の益田ジュリアは字を書くことができない。小さい頃からメールに頼りきっていたため、読むことはできるが、書くことはまるでままならないのだ。
 しかしそんなジュリアは、物語の中盤でのシャメロン老子との出会いを通じて、文字を書くことの面白さと奥深さに気づいていくようになる。恋人のション・ジュワンと滝を訪れたジュリアが、水に濡れてビリビリになった半紙に筆で文字を書きなぐるラストシーンは何度読んでも涙が止まらない。自称読書家のおじさま方はこのシーンを荒唐無稽であると言ってこき下ろしていたが、私はこんなに美しいシーンはないと思っているし、今我々が抱える夢であり、欲望であるに違いないからだ。この小説が売れたことで、滝の下に行くカップルが殺到したという。彼らの手には筆が握り締められている。おそらくその心の中では、「文字が書きたい、文字が書きたい」とつぶやいているに違いない。