代わり映えのない電話番号

 会社員の棚田金治の日課は、毎朝ある電話番号に電話をすることである。その相手は30年前にある雑誌の投稿欄で知り合った女性で、彼女は「毎朝モーニングコールをしてくれる人を探しています」と書いてあった。金治が面白そうだと思って手紙を送ると、すぐに返事が来た。ただ一言「お願いします」という文章の下に電話番号が書かれていた。
 金治は女性の名前も住所も年齢も知らない。手紙は私書箱に送るように指定されていたし、名前は「平成のマニュアル娘」というペンネームだった。彼女は電話に出るが必要以上のことは何も話さない。ただ「起きました」と言って電話を切るだけだ。
 彼女が独身なのか、人妻なのか、働いているのか、寝たきりなのか、何もわからない。金治がそのことを友人に話すと「気味が悪いからやめろ」と反対したが、なぜか金治の中では、彼女に電話をしなかったら永遠に起きないような気がしてやめられなかった。金治が独身だということもあるが、30年もの間、毎朝電話をしていると、情も湧いてくる。何度か電話に出た瞬間に「今度会いましょう」と言ってみたこともあったが、返ってくる返事は「起きました」だけだった。そのうち金治はあきらめ、ただ惰性のようにこの作業を毎朝続けているというわけだ。
 電話番号も完全に覚えており、今では自分の誕生日よりもなじみ深いものとなったため、銀行のキャッシュカードの暗証番号も、彼女の電話番号の下4桁のものに変えた。自分は何度か引越しをして電話番号を変えたが、彼女の電話番号だけは変わらない。金治は、いくら世の中の有象無象がめくるめく速さで変わっていこうとも、彼女の電話番号だけは変わらないでほしいと思っている。もし今さら変えられても覚える自信もない。