見てないから

 高校2年生の頃、同じクラスの本間が2学期の初めからおかしなことを触れ回るようになった。授業中や休み時間に、私が本間のことを盗み見ているというのだ。ゴシップ好きのクラスメイトはこれに飛びつき、あっというまに私が本間のことを好きだという話になってしまった。私は同い年の男になんか興味がないし、ましてやクラスの猿みたいな男たちは同じ人間としてみなしていない。私が興味があるのはバイト先の先輩の川西さんと、インターネットで知り合った大学生のデジ魔神ササキさんだけなのだが、そのことは同級生に話していない。 
 そもそもなんで私が本間のことを見ないといけないのか。本間は漂白したモヤシが服を着て歩いているような軟弱男で、そのくせなぜか態度はデカく、男子からも女子からも嫌われている。私はもともとこの男が好きではなかったから、このクラスになってから視線を向けた記憶もない。第一、どんな顔をしているのかも覚えていない。
 それなのに、それなのに。今日も本間は休み時間にペチャクチャとクラスメイトたちに言っているのが聞こえる。
「さっきの数学の時間もさ、中西瑞枝が俺のことを見ていたんだよ。やんなっちゃうよな。照れちゃうよな。でも人から好かれるのって気持ちいいぜ。恋は最高だよ。ハートの奥がジュンと温かくなるんだよ」
 私は怒りでプルプルと身体を痙攣させ、お気に入りのクマゴローの消しゴムを爪でちぎる。そのただならぬ気配を察知した隣の席の小暮奈々子が心配して声をかけてくるのだが、それがまた私の怒りに油を注ぐ。
「中西さん、そんな風にカモフラージュすると、余計怪しまれるから逆効果だよ。私もね、好きな男の子がバレたとき、何言ってるのよ!って怒ったフリをしたことがあったけど、かえってあれは失敗だったなーって思うの。今だったら素直に認めると思う。私も本間くんの言う通り、恋は最高だと思うからさ、中西さんも意地ばかり張ってないで、本間くんと両想いだってこと認めちゃいなよ」
 私は我慢できなくなり、激しい音を立てて立ち上がる。すると、本間がまた余計な一言を言う。
「お、みんな見た? 今も立ち上がる瞬間に俺のこと見てたよ。中西はひとつひとつの動作をするたびに俺のことを見ないと気がすまないんだな。今日は朝から何回見られてたか数えてたんだけどさ、今ので35回目だね」
 私は本間のほうへカツカツと音を立てて、その首ねっこをつかむ。私のほうが背が高いから、本間が私のことを上目遣いで見上げる格好になる。
「だから、見てないから! おまえのことなんて1回も見たことないから! 何がハートがジュンだよ! 気持ち悪いんだよ! いいかげんにしてくれよ! 悪いけど、私には学校の外に好きな人がいるし、打ちこむ趣味だってあるから忙しくておまえにかまっている暇なんてないんだよ。ほっといてくれ!」
 私はそこまでぶちまけると、気持ちがすっきりし、本間の首根っこから手を離した。ここまでの剣幕で怒鳴れば、さすがに本間もおとなしくなるだろうと思っていたが、奴の反応は私が予想していたものと違った。
「ふふふ、ははは。そうかそうか、そうやって正々堂々と僕のことを見たかったんだね。わかるよ。盗み見ばかりしていると、不満が溜まるからね。僕に向かってキレるフリをすればちゃんと正面から近距離で見られるってわけだ。うまいなあ〜。しかも、みんなに対しても、僕のことを好きじゃないってアピールすることで本当の気持ちを隠せるもんね。本当に中西さんは、シャイというか、天邪鬼というか、可愛くて仕方がないよ。僕もいい子に好かれたものだなあと思うよ」
 クラスメイトたちは本間の言葉を完全に真に受け、「なるほど、そうか」という顔をしてうなずいている。私は「違うよ!」と言って怒鳴ろうとしたが、やめた。もう何だっていいではないか。私はその日以来、貝になった。卒業式の日まで一言も発することを放棄した。やがて本間と私の噂は自然に終息したが、私はこの男のせいで、完全沈黙の高校生活を送ることになってしまった。